有名人の姓名本質リーディング(16)人間「清原和博」の未来の生きる道とは?
この(16)「有名人の有名人の姓名本質リーディング」は、大阪で悩みをお名前と潜在意識から読み解く本質と使命とトラウマの「姓名本質リーディング」の姓名リーダー三宅麗子のブログ(投稿頁)です。
★有名人の姓名本質リーディング(16)
◆人間「清原和博」の未来の生きる道とは?
「清原和博」のファンの皆さんは、今回、とうとう「覚醒剤所持で現行犯逮捕」というニュースに、裏切られた悔しい思いと同時に、何だか、ホッとされたのではないでしょうか? これで彼も苦しい「薬」から逃れるキッカケになると…。
「清原和博」という名前を聞くトキ、人は華々しい雰囲気の中に、何かモノ悲しい、儚さのような印象を持つ人も多いのではないでしょうか? 同じ「覚醒剤で逮捕」のASKAとは、マスコミも一般人も受け取る印象が若干違うようで、その「差」は一体何なんでしょうか? この差が、多くの人々が、まだ「清原」氏に対して一筋の「光」を望む所以でしょうか?
私のこの「姓名解読リーディング」もそういう意味を込めまして、未来の「清原」氏を意識して、行いたいと思います。また、なぜ、道を踏み外すコトになったのかも、その理由を「カウンセラー目線」で探ってみたいと存じます。それが、今後の「清原」氏の更生に貢献できますように、真摯に書かせて頂きます。(敬称略)
さて、【言霊解説(図象符)】ですが、「清原和博」の「「図象符」は二つあります。①「キヨハラカツヒロ」の「神名」は、無し。
もう一つの②「キヨハラカスヒロ」の「神名」は、①泥土根尊(ウヒジネ)【神代七代】、②天萬栲幡千幡比賣命(アメヨロズタクハタチハタヒメ)【天】の2柱。
①「ウヒジネ」は「別名」宇比地邇神(ウイジニ)と言い、須比智邇神(スヒヂニ)の女神と「対」の男神なので、「清原」は、絶対独り身ではいけません。また、②天萬栲幡千幡比賣命(アメヨロズタクハタチハタヒメ)は、高皇産霊神(高木神)の子で、天照大神の子の天忍穂耳命と結婚し、天火明命と瓊瓊杵尊を産んだ、とあります。「神名」から想像するに、決して華々しく表舞台で活躍する人ではなく、辛抱強く裏方に徹してこそ、今世の人生が全うできるというもの。一体、誰がどこで、「清原」に大きな勘違いをさせたのでしょうか?
①、②の「図象符」とも、極端に「神名」が少ないので、「霊統」(魂の緒)よりも「血統」(臍の緒、血縁)の方が強いです。家族や先祖の縁が強く、今世の「清原」は、生き様というか人生は、常に家族の影響を受けやすいのです。また、組織への依存度も拘りも強く、清原にとっては、普通の人以上に「西武」と「巨」人では全く意味が違うのでしょう。人間の存在に関わる大きな問題だったのでしょう。そこから転落の人生が始まっていたのでしょう。もしも、野球人生を歩んでいなかったら、長男なので、父親のお店(電気店)を継ぐべき人生だったのでしょう。
しかし、幸か不幸か、彼は野球人生を歩むコトに…。それには母親の陰が大きな影響を与えているのです。本来、大阪の人間であれば、「阪神」や在阪の球団のファンになるのが普通なのに、彼の家族、特に母親は熱狂的な「巨人ファン」で、是が非でも、息子の「巨人」入りを望んだそうです。父親は本来は、阪神ファンだったそうで、結局、母親の意地に振り舞わされる羽目になったといえます。やっぱり、そういうコトも尋常ではないのでしょう。土地の神様に逆らった? 見放された?
「清原」が「巨人」に入りたかったのは、ただただ「母親」の見栄を叶える為だった? それも「巨人」という、そういうステージママ的な存在が災いして、「清原」の「巨人」入りが成功しなかった一因かも…。私は、ずっと、「清原」の前途を案じていたのでした。なぜならば、彼には、父親の存在が全く無いのですから…。彼のような超一流のスポーツ選手には、必ずと言っていいほど父親が有名になります。松井やイチローや石川遼の父親のように…。そして、マスコミにもたびたび登場して話題を提供します。しかし、「清原」には父親の存在よりも母親の存在が何かと話題になっていたのです。今回、息子が捕まっても、父親は、余りマスコミにも出ず、コメントも発信せず、かえって母親の方が話題になっているのを見ても、然り…。異常に強い母親中心の家庭で育った人間に特有の弱さが、「清原」氏には垣間見られます。
だから、結婚相手も、母親によく似た人ではないかと懸念していたのですが、彼に覚醒剤の噂が立ってからの、どん底の「離婚」というコトに、やっぱり、という思い、でした…。家族の中では夫婦が「主役」で、子供は「脇役」。息子を守る前に、夫を守って支えるのが妻の役目でしょう。仮面夫婦だったからと元妻を弁護する風潮ですが、それならば、もっと前に離婚していなければ…。それもこれも何でもかんでも、子供の為と開き直れるのが妻の立場で、今の女性が強くなる原因でもあり、その分だけ、強い母親に抑圧されて、男の子供が男としての「性」を阻害されていく…。「清原」の子どもたちも父親のようにならないか、心配です…。
似た者同士の嫁姑に挟まれた「清原」の安らぐ場は、きっと家庭には無かったコトでしょう。「神名」が少ないのを見ても、「清原」にとっては、普通の人以上に、母親や妻に縛られる人生だったのでしょう。息子たちも妻に味方するように躾けられ、自由に可愛がることもままならず、だから、なおのこそ、その煩わしさから逃れたいという気持ちも沸いてくる…。念願の「巨人」に入っても何か居心地が悪い、家庭に帰っても自分の安らぐ場はない、では一体、どこに居場所を求めたら良いのか?
【言霊解説(図象符)】では、「姓」の①「キヨハラ」は「男・火」、「名」の①「カツヒロ」は「男・火」、「姓名」①は、「男・火」。「名」の②「カスヒロ」は「男・火」で、「姓名」②は「男・火」で同じですが、秘めたるエネルギーは女性的エネルギーが強いので、それが良い時にはいいのですが、悪くなると女性のめめしさが顔を出すの要注意です。また、②「カスヒロ」の方がさらに女性っぽいので、極力、①「カツヒロ」を使った方が、男らしく、より野球選手としては運が良かったのですが、遅かりし…。私は、今後は、やっぱり、タテ線ヨコ線にきっちり小円が入っている①「キヨハラカツヒロ」を意識したほうが良いように感じます。①「カツヒロ」で生きた方が、社会人としても相応しいでしょう。但し、どちらも父親や弟の家族の縁を大切にすることが重要ですが…。
【姓名解読(字源)】では、
「清原和博」の「姓」の「清原」の「清」は、【「水(氵)+青」で、きよらかにすんだ水のこと。】
意味は、【きよい。きよらか。すみきっているさま。すがすがしいさま。心や行いにけがれがないさま。すむ。けがれなくすみきる。きよめる。きれいに整理する。きれいに整頓されたさま。ごたごたせず、簡素でけじめがあるさま。中国最後の王朝。すずしい。すみきって冷たいさま。】とある。
「清」の「水」は、【みずの流れの姿を描いたもの。】意味は、【みず、外わくに従って形をかえ、低い所に流れる性質をもつ液体の代表。火に対して水といい、湯に対して水(特に冷たいみず)という。また、柔軟なものの代表。「水火(みずと、ひ。生活の基準条件)」。川や湖などのある場所。河川の名につけることば。「水星」の略。五行の一つ、方角では北、色は黒。時節は冬、十干では壬と癸、五音では羽に当てる。割増金や手当。「水素」の略。相撲で勝負が長引き力士が疲れたときしばらく引き離して休ませること。七曜の一つ。「水曜日」の略。】とある。
「姓名」の最初の文字が「清」なんて、まず、そのように生きなければ、いけません。それは、他人から見てではなく、宇宙や天から見て、お天道様に顔向けできるような、一点の曇りもない人生を送るために、今世では、清く生きると、「清原」氏が堅く誓って、選んで降りてきたお名前の「清」なのですね。また、「水」に縁がある人は、人生に翻弄されて流される人が多く、気がつけば、他人い振り回されて、自分の意志で歩いていない人も…。何をかいわんや!
「清」の「青」は、【「生(あおい草の芽ばえ)+丼(井戸の中に清水のたまったさま)」で生・丼のどちらかを音符と考えてもよい。あお草や清水のようなすみきったあお色。】
意味は、【あお。あおい。五色(青・赤・白・黄・黒)のひとつ。五行では木に配当し、東・春・少年などの意に用いる。緑がかったあお、黒みがかったあおなど、けがれのなくすみきった感じのするあおを青という。昔あお竹の札に文字を記録したので記録を青という。あおみがかってみえる黒馬。転じて一般に馬のことをいう。未熟である。官位が低い。】とある。
この「青」は、たしか、西武球団の「カラー」だった? 本当は、あの球団で正解だったのです。それをまるで駄々っ子のように、「巨人・巨人・巨人」って、やっぱり母親の悪影響なのか? 母親に褒められたい一心で、子供は人生を歩む人も多いのです。
「青」の「生」は、【「若芽の形+土」で地上に若芽のはえたさまを示す。いきいきとして新しい意を含む。】
意味は、【生きる。いかす。うむ。うまれる。子をうむ。子がうまれる。物をつくり出す。物ができる。はえる。おう。おこる。発生する。植物の芽がはえる。なま。いきいきとして新しいさま。煮たきしていない。いきていること。いきているもの。いのち。学問をしている若い人。自分のことをへりくだってでし、または青二才の意を含めていうことば。いきながら。いきたまま。うまれながら。うまれつき。なれていないさま。未熟なさま。ひどく。非常に。き。まじりけのない。純な。うぶ。ういういしい。なる。】とある。
もともと本質的には、子どものような無心な心を持っている人なのでしょう。素直に、自分の与えられた運命に心から甘んじて、不平不満を言わずに、選手生活を送っていたら、きっと今の人生とは違う人生を歩んでいたことでしょう。大人になるにつれて、常識人間として成長しないといけない時期に、チヤホヤされ過ぎると、幼児性が抜け切れず、「裸の王様」化する人も…。
「生」の「土」は、【土を盛った姿を描いたもの。古代人は土に万物をうみ出す充実した力があると認めて土をまつった。このことから、土は充実したものの意を含む。また、土の字は、社の原字であり、やがて土地の神や氏神の意となる。のち、各地の代表的な樹木を形代として土盛りにかえた。土は地の万物を吐生するものなり。】
意味は、【つち。大地。田畑。また、ふるさと。領有する土地。その土地本来の。いなかふうで。ひなびている。五行の一つ、方角では中央、色では黄色、時では夏の土用、味では甘、内臓で胆に当たる。星の名、土星、鎮星。八音の一つ。土を焼いてつくった楽器。土盛りをして土地の神をまつったもの。社の原字であり、のち、土地の神となる。はかる。度にあてた用法。ど。七曜の一つ。土曜日の略。】とある。
この「土」は、グラウンドで勝負する野球選手にはぴったりです。但し、芝生の上のグラウンドよりも裸の「土」が見える地面でのほうが向いていますが…。机の上での仕事や部屋の中での仕事は向きません。引退後も、普通の人のように、会社のや事務所や工場での勤務はダメでしょう。内よりも外、都会よりも田舎が、仕事の場にすれば良し。水商売なんて、彼にとってはご法度。
「青」の「丼」は、【日本では象形。容器の中に食べものの入った姿を描いたもの。中国では会意。「井(四角い井戸のわく)+・印(清い水のたまったさま)で清らかな水をあらわす。青(すみきってあおい)の下部に含まれる。】
意味は、【い。いど。どんぶり。厚みのある深い陶製のはち。どんぶりばち。それに飯を盛り、種をのせた料理。職人などか着る腹がけの前部につけた物入れ。】とある。
彼自身は、本来は、水商売も向いておりますが、姓名に「水」や水の入った「丼」や「泉」や「井」など、「水」と縁のある文字が4つも重なれば、その「水」の持つ強い気に流されやすくなるのですね。だから、そういう場所には近寄らないコトが大事なのです。ストレス解消にはならないのです。彼には、精神統一が一番必要だった…。
「丼」の「井」は、【井は、四角いわく型を描いたもので、もと、ケイと読む。形や型の字にの左側の原字。丼は、「四角いわく+・印」の会意文字で清水のたまったさまを示す。セイと読み、のち、両者の字形が混同して井と書くようになった。井は、また、四角にきちんと井型に区切るの意を派生する。】
意味は、【い。いど。人が集まって住んでいる所。公共の井戸を掘ると、人が集まり周囲に住居が出来るので、市(まち)を「市井」といい、郷村を「郷井」という。井げたのように、正方形にきちんとくぎったさま。周代、土地の行政区画で、一里四方の区画。二十八宿の一つ。基準星は今のふたご座に含まれる。ちちり。周易の六十四卦の一つ。】とある。
でも、やっぱり彼は、人の集まる華やかな場所がお好きなようで、いつもチヤホヤされたいのは、きっと人一倍寂しがりやなのでしょう。商売柄でも、優しくされると心を許して不倫に走ってしまう。きっと、結婚後の家庭生活では、彼の幼少時代、そっくりな家庭だった…。そして、深層心理では、無意識で、バカにしていた父親に、今は、彼自身が見習っていると気づいたときの、彼のジレンマと絶望はいかばかりか?
彼は、身内の女に弱すぎて頭が上がらない…。だから、彼に居場所は、外にしかなかった。いえ、外にも本当はなかったのです。それを隠すために、また、自分自身にも偽るために、外で羽振りをきかせすぎたり、肩で風を切りすぎる…。本当に、「男はつらいよ」。
「姓」の「清原」の「原」は、【「厂(がけ)+泉(いずみ)」で、岩石の間のまるい穴から水がわく泉のこと。源の原字。水源であるから「もと」の意を派生する。広い野原を意味するのは、ゲンの当て字。また、きまじめを意味するのは、元(まるい頭)・頑(まるい頭→融通のきかない頭)などに当てた仮借字である。】
意味は、【はら。まるい平原。広い野原。みなもと。もと、岩の穴から水のわき出る泉。のち転じて、物事のもと・起源の意。はじめ。もとの。もとより。最初から。たずねる。のとにさかのぼって考える。きまじめなさま。また、きまじめなだけで融通がきかないこと。ゆるす。罪をゆるす。もとをたずねて情状を酌量することから。】とある。
生真面目すぎて、桑田氏を一生涯許せなかったのは、この「原」からきているのでは? この字は、彼にとっては、頑固さをイメージさせますね。でも、本来は、この字は、思慮深い考えが沸く源泉となるモノなので、モノゴトに拘らない、大らかに生きなければいけなかったのです。彼にとっては、「水」に縁があるので、「水」に流すという「許す」コトが今世のテーマなのかもしれません。しかし、あまりにもこだわり過ぎた…。
「原」の「厂」は、【厂型に切りたったがけを描いたもの。がけ・つちなどをあらわす。また、雁・厈(岸)・厓などの字に音符として含まれる。現代音のanは庵に当てた音。】
意味は、【がんだれ。岸や崖(がけ)の原字。】とある。
「原」の中でもこの「厂」が、彼の依怙地の原因だった…。この字は、原字なので、結構、影響力のある字で、彼の人生にも多大な影響を与えてしまった…。
「原」の「泉」は、【まるい穴から水がわき出るさまを描いたもの。】
意味は、【いずみ。地表にわき出る水。せまい穴をうがつようにして、わき出るいずみ。みなもと。あの世。穴あき銭。いずみのように行き渡って、生活をうるおすぜに。】とある。
彼には、まるいとは、穴とかいう言葉に縁があるような気がするのは、やっぱり、丸い「球」を追う人生は、ある意味正解だったのでしょうね。問題は、野球を辞めてからどう生きるか? が、人間だれしも試されているのです。第一の人生は、成功する人も、失敗する人も、余り気にしなくていいのです。本来は、第二の人生を、いかに、人間として、どうお役に立ち、どう生きるか?これのために、今世に生まれていたといっても過言ではないのです。
「名」の「和博」の「和」は、【禾は粟の穂のまるくしなやかにたれたさまを描いた象形文字。窩(まるいあな)とも縁が近く、かどたたない意を含む、和は「口+禾」。】
意味は、【やわらぎ。まるくまとまった状態。いっしょに解け合ったさま。成分のことなるものをうまく配合する。やわらぐ。なごむ。かどたたずまるくおさまる。なごやか。ゆったりとしてやわらいださま。声や調子をあわせる。プラスする。加えた結果。車の軾につける鈴。分離しない。日本。日本語。あえる。なぎ。】とある。
ここでも「まるく」がでてきますが、しなやかさもないとダメですが、彼からはしなやかさは微塵も感じられません。角が立たずにまるくといっても、離婚すれば元も子もありませんよね。きっと、彼は離婚には納得できていないのでしょう。野球人生も母親の希望を優先し、今回の離婚も妻の意見を優先する…。彼の人生って、哀しいですね~。
「和」の「禾」は、【穂のたれたあわの形を描いたもの。まるくたれる穂の形、あるいはまるいつぶに注目したことば。】
意味は、【あわ。いね。穀物の総称。】とある。
ここでも「まるく」とあり、また、稲の「垂れる」とありますが、彼の姿勢からは、驕りや慢心は、大凶です。刺青なんて、とんでもない! 母親の目が行き届かなくなったというコトは、お母さんに何か異変が? 影響力がなくなったということは、風船の糸が切れてしまったのか…。
「和」の「口」は、【人間のくちやあなを描いたもの。その音がつづまれば谷(あなのあいたたに)、語尾が伸びれば孔(あな)や空(筒抜けのあな)となる。いずれも、中空にあなのあいた意を含む。「巧」の代用字としても使う。】
意味は、【くち。人の顔にあり、飲食物を取り、物をいうあな。食べる人の数や食べぐあい。また、食物を食べるくちの数によって人数や家畜を数えるときのことば。あな。ぽかっと口をあけたあな。入りぐち。くちずから。親しく自分のくちから。刀を数える単位。ものの言い方。また、ことば。もののはじめ。物事をいくつかにわけた一つ。入りこみうる場所。】とある。
ここでも「穴」がありますが、彼は本来、一生食い扶持には困らない人生を歩めるはずですが、でも、派手な金銭感覚で見栄を張ったり、ものの言い方を間違ったり、人に横柄な態度で接すると、そういう恵まれた運も逃げていきますので、要注意!
「和博」の「博」は、【甫は、圃の原字で、平らで、広い苗床。専は、平らに広げること。博は、「十(集める)+専」で、多くのものが平らに広がること。また、拍(うつ)や搏(うる)に当て、ずぼしにぴたりとうちあてる意をあらわす。】
意味は、【ひろい。大きくひろがったさま。ひろめる。ひろくする。いちかばちかでやってみて、うまく当てる。図に当たる。ばくちをする。ばくち。】とある。
ここで、「ばくち」という言葉がでてきましたが、野球人生では、この字はプラスに作用します。しかし、素人になってからは、くれぐれも用心しないと、この字はマイナスに作用します。彼は、きっと、一か八かの、博打打ち的な人生がお好きなのでしょうね。いっそヤクザにでも、と思ったことでしょうが、「和」が邪魔をして、それほどの根性もない。まだ、良心というものが、彼には残っているのです。それは、子どもの存在が大きく影響しているのでは?
「博」の「十」は、【全部を一本に集めて一単位とすることを|印で示すもの。その中央がまるくふくれ、のち十の字体となった。多くのものを寄せ集めてまとめる意を含む。】
意味は、【とお。と。順番の十番め。十月十日。とたび。とたびする。十回。十回する。すべて、まとまっているさま。十分なさま。】とある。
まあるく生きるのが、本来の彼の人生です。「十=ト」と「一=ヒ」を持つ人は、「ヒ・ト」として人間の代表選手。模範選手となるべき人間です。彼の上に人(恩師)はいないし、彼の下にも人(弟子)がいない。孤高の人…。悪く言えば、一匹狼で、彼を理解する人はいない…。それを自覚することから、もう一度スタートでしょうか? 今のままで終わる人ではないのですね、本当は…。
「博」の「専」は、【上部は糸をよる重り(紡錘)を描いた象形文字。専は、「寸(て)+叀」重りの紡錘は、何本もの原糸を一つにまとめ、かつ一箇所にとどまり動揺しないので、そこから専一の意を生じた。また、まるい重りの意を含み、甎・磚(まるい石やかわら)などの原字。】
意味は、【もっぱら。それだけひとすじに。ひたすら。もっぱらにする。ひとりじめにする。また、自分ひとりでする。】とある。「専」の「叀」は、【まるい紡錘(糸巻きの輪)をぶら下げたさま。糸をよる重り(紡錘)を描いた文字。】とある。
専門職に生きたことは良かったのですが、後の人生も、彼には、野球畑で生きるしか「道」はありませんでしたが…。それを肝に命じるコト。今となっては後の祭りなのか? 刺青は即刻、消すべし! なぜ、刺青なんて、入れたのか? 母親は反対していたようなので、母親からの脱皮かもしれませんが…。やっぱり、存在感のアピールでしょうか? 周囲にバカにされたくないゆえの…。しかし、それをすることによって、まともな多くの人が無言のうちに彼をバカにしているのです。それをちっともご存じないし、たとえ、刺青を入れたからと言って、決して、母親からの脱皮になんてなりません。ますます、悪あがきです。
「専」の「寸」は、【「手+一印」で、手の指一本の幅のこと。一尺は手尺の一幅で、22.5センチ。指十本の幅がちょうど一尺に当たる。また、漢字をくみたてるときには、手、手をちょっとおく、手をつけるなどの意味をあらわす。】
意味は、【長さの単位。一寸は、一尺の十分の一。非常に短い。わずか。少し。はかる。寸法をはかる。人の気持をおしはかる。とき。「時」の字の略体として用いられた俗字。き。馬の背たけをはかる単位。】とある。
「人の気持をおしはかる」とありますが、本来は、繊細な神経の持ち主なのでしょう。よほど信頼できる相手にしか見せないのが、彼の不幸なのでしょうか。
「寸」の「手」は、【五本の指のある手首を描いたもの。シュという音は、守(とられぬように持つ)・受(しっかり持つ)と同系で、外まわりを囲んでその中に物を持つ意を含む。】
意味は、【て。手首。転じて上肢全体。てにする。てずから。てもと。自分の手にもって。仕事。技芸や細工のうまい人。字の書き方、駒のさし方、舞いのてさばき、武道の術など。方法。方向。部下の働く者。傷。付き合いや関係。代金。】とある。
「手」を使う職業とは、バットを振ることでしょう。本当は、一生涯、現役の選手でいたかったのでしょうね。でも、「口」があるので、解説者にも向いているのですが、母親に劣等感がある人は、得てして、口下手な性格と思い込んでしまいます。
「寸」の「一」は、【一本の横線で、ひとつを示す。ひとつの意のほか、全部をひとまとめにする、いっぱいに詰めるなどの意を含む。壱の原字壹は、壺にいっぱい詰めて口をくびったさま。】
意味は、【ひとつ。ひと。順番の一番め。ひとつにする。ひとつとなる。…じゅうすべて。…のすみからすみまで。同じであるさま。同じくする。一致させる。ひとつのもの。また、同じものとして扱う。いっしょくたにする。もっぱら。ひたすら。なんと。ひとたび。一回。一度。もしいちどでも…したら。しこし。ちょっと。わずかに。あるひとるの。また、あるひとりの。…したり…したり。】とある。
「一」は、一番を目指す人であり、業界のトップとなる人で、まさに、彼にピッタリと言いたいのですが、なぜ、彼が「イチロー」になれなかったのかというと、「和」があるために、「和=日本」なので、外国は不向きだった。彼のココロが優し過ぎたのです。特に、身内の女性たちに…。身内の女性たちが、彼の繊細で若々しい芽を摘んでしまったのです。彼の結婚も、モデルなどではなくて、普通の素人さんと結婚すべきだったのです。結婚も彼の人生に暗い影を落としていますから…。
彼ほど誤解される性格の人も珍しいのです。強がりの中に、寂しさを秘めている人って、「清原」氏のコトではないでしょうか? 彼のような人間が、強がれば強がるほど、「哀れ」を誘うのです。そこが、私がまだ、「清原」氏がやり直せると感じる一点なのですね。でも、反面、それを阻むような、弱すぎる点も気になるのですが…。
【数霊(ラッキーナンバー)】は、「4」「1」「8」。「4」も「8」も偶数で、「4」は良く(ヨシヨシ、ヨカヨカ)も悪く(ヨタヨタ、ヨボヨボ))も揺れるので、「良く生きよう」と強く意識して生きることが重要。「1」は、「清原」氏にとっては「天才」や「番長」などに影響を与えた数字、「8」は、「イヤサカ」に栄えるが、「分れる」という離反や反乱の意味もあり、意味深長な数字ではあります。
【エネルギー解読】は、生まれた日は、「8」の「弥栄」や「無限大」で陰陽に関わらないエネルギーですが、生年月日全体では、女性的なエネルギーが強いです。今年は48才という若干女性的なエネルギーで、その相乗作用(?)なのか、今年の逮捕となったのでしょうか。彼のイメージは、男性っぽい雰囲気ですが、魂的には、女性性エネルギーの方が強い感じがいたします。薬から縁が切れるには、彼に信頼や尊敬できる人物がいるかどうかにかかっているでしょう。そういう人物がいないのであれば、やはり彼の「魂」と対決するための場(修行場)が必要でしょう。
オーラに関係する【チャクラ・オーラ解読】では、「弱点」は、臍(丹田)なので、丹田にエネルギーが入りにくい。精神統一をして、常にエネルギーが喉から上の頭に行かないように、意識を下に下ろすようにする。チャンスやピンチに弱く、見かけ以上に焦りやすいので、感情的にならず、常に冷静に対処すること。また、悪い気を貰いやすいので、浄化に務め、感情のバランス感覚を大切に、思慮深さに鑑み、熟慮に熟慮を重ね、怠惰や抑圧を心から排除するように努めること。お風呂の湯船の中で、丹田をマッサージして、シャワーも丹田に当てるとよい。
要するに、イザという時のチャンスに弱く、ここぞという時に、とどめを刺せない気の弱さがあります。また、これと言って、自信をもって選択するのが苦手で、常に、心がフラフラ揺れ動きます。それなのに、エネルギーが強すぎて、それを放出するためには、普通の仕事では、無理なのです。身体をこき使う過酷な仕事に向いています。野球評論家や解説者では、エネルギーが有り余って、身体の中に淀んでしまいます。それを発散するのは大変ですが、くれぐれも不倫はいけません。やっぱり、丹田を鍛えるために、昔ながらの精神統一や武術なので、もうひと肌あげられてはいかがでしょうか?
【心理学的診断】では、彼は柔和で世話好きで、細かい気遣いと思いやりがあり、親切心や自己犠牲的精神の持ち主です。また、情にもろく自己主張も弱く、周りに合わせすぎることがあって、自己嫌悪に陥りやすい。本来は、争いや戦いは好まず、平穏無事な人生を望んでいたはずで、野球は好きだが、勝ち負けは嫌いなので、勝負の世界に入ったことが間違いの元。母親の願望を叶えるのが彼の人生だったのか? 母親が病気になり、心の寄り所の糸がプッツリ切れてしまったのか?
これからの「清原」氏の進むべき道ですが、家族や先祖の縁が、特に強いので、産土様や氏神様の守護を頂くために、生まれた土地の縁を大切にして、特に男縁を大切にするために、父親や弟の縁を頼り、生活することを中心に考えるのが、全うな生き方ではないでしょうか? 野球で言えば、「巨人」よりも、在阪の球団に恩返しをすることが、土地の神様にも喜ばれる生き方でしょう。関西に生まれたということはやはり意味のあることなのですから…。
また、見かけと相反して、精神的に脆くて弱いので、今回の件で保釈されたら、即、精神を鍛えるために、本気で、俗世間から離れ、高野山や比叡山で3年以上修行すること。心と体を鍛えるために、精神修養をするのが理想です。一度、世間から悪いイメージの存在を抹消すべし。そうすれば、悪の勢力からも逃れられるし、二度と麻薬にも手を出さない、強靭な精神となるでしょう。
そして、その後は、プロ野球界で生きるのではなく、少年野球の塾を経営することに専念すればいいのはないでしょうか? 「清原」氏が心底、心から改心して、身も改造すれば、彼のガラスのような繊細で心優しい「魂」は、とても喜ぶことでしょう。
本来、彼は子どものために生かすべき、いえ、生きるべき「魂」なので、例え、他人の子供であっても、子供の好きな「清原」氏の思いを満たし、平穏にするでしょう。実の子どもに会えなくても寂しさは半減して、また、生きがいも出てきて、一石二鳥の未来ではないでしょうか?
それが「清」や「和」という字の名前を持つ人の「使命」ではないでしょうか? また、良き伴侶を得られて、幸せになって頂きたいと願ってやみません。その際には、「清原和博」という名前に心を動かさないしっかりとした女性、彼の人間性を信じて、惚れてくれる人を見つけるべきで、苦しい時こそ、彼を守る人が理想の伴侶でしょう。もしも、今付き合っている人がいるのであれば、今こそ、その人が試されているとも言えます。どうか、彼を見放さずに、支えてあげてください。
そして、「清原」氏は、父親を反面教師として、強い父親、大黒柱として尊敬される、そんな父親になって頂きたいと思います。そうすれば、例え、別れている今の二人の息子も、立ち直った父親をみて、きっと尊敬することでしょう。それを目標にして生きるのが、これからの「清原」氏に課せられた使命です。ただ、恋しい恋しいばかりでは、子どもの心は取り戻せません。取り戻せるのは、唯一、息子たちにとって尊敬できる人間かどうか、そういう人間になれるかどうか。のみ!
今回の、「清原和博」を姓名解読リーディングして、今回強く感じたコトは、かつて「清原」氏が「西武」の選手だった時に、有名女優が清原のファンだとかで、大いに話題を盛り上げていましたが、その後、トント、彼を応援したとか窮地を救ったとかいう話は耳にしませんでしたが、何とも後味の悪い気がいたします。良い時だけチヤホヤ、彼の名声を利用するのは、有名人でも無名人でも一緒なのでしょうね。そういう身勝手な人間の行動や、世間の風潮にも、「清原」氏は繊細な心を蝕んでいったのでしょうか? そういう意識は「結婚」でも感じたのでしょうか? 一度人間不信に陥った人間は中々まともな精神には戻れない。その人間不信はプロ野球入団から続いているとしたら…。現状逃避するには、彼にとっては「死」か「薬」かしか、選択の余地がなかったのでしょうか? さらにその諸悪の根源は、やはり家族の母親の存在が…。
さらに、母親がアルツハイナーという病気になっているそうですが、それも現実の息子の凋落を見るに堪え切れずに、人間として尊厳な強い意識で、そういう病気になったのでしょうか? 「清原」氏もまた、敬する大好きな母親の病気を見て、その現実を見るに忍びなく、薬に逃避という、最悪のウロボロス、無限地獄へと真っ逆さまへに転がり落ちていったのでしょうか? それを断ち切るのはこの世でたった一人だけ。それが、偉大な父親の存在にほかなりません。
家族の父親の存在の「欠如」が感じられてなりません。こういう傾向は、今後ドンドン増えてくるでしょう。強い母親の存在によって子供が委縮してしまい、男の子が成長するに従って、強い男性のイメージがないために、ともすれば、女性に振り回される男性も多くなり、強いては、この国の行く末も心配になってまいります。
なにはともあれ、この世に「清原和博」という人間が生まれてきた意味は、とても大きくて、決して無駄ではなかったのです。その為にも、立ち直った彼の姿を見てみたいと思います。それが、私たち弱い人間の希望になるのが「清原和博」ではないでしょうか?
「清原和博」さん、今がどん底、それ以下はありません。地獄を見た人は強いと言われます、どうか、私たちの期待を裏切らないでください。善も悪も持つ人間だから、改心できるのではないでしょうか? あのとき、捕まって良かったという、今後の生き方を望みます。
その為にも身体に刻印した、入れ墨の処遇が、今後のカギとなるでしょう。縄文時代には「善」の入れ墨でも、現在社会では「悪」のイメージがあり、例え、多くの芸能人がこれ見よがしに入れても、未だ一般社会では受け入れません。その意識は、今の文明が変わらない限り無理でしょう。「清原和博」にとっても、入れ墨の処遇が更生したかの踏み絵となるでしょう。ある意味、入れ墨を入れた時点で、彼はもう、一般社会で生きていくことを諦めたのかもしれません。違う世界の組織の中で生きていくのも「神名」の少ない彼にとっとは、ある意味正解なのかもしれませんが、それにしても、その世界も彼にとっては、ちょっと厳しい世界でしょう。
なぜなら、彼の名前は、清い場所で平和と博愛に満ちた生き方をするという意味なのですから…。やっぱり、宗教の場に身を置き、空海や親鸞を目指して頂きたいと思います。
彼の生き方は、私たち人間の「弱い」部分の生き方とも言えるのです。強い人ばかりの世の中ではないのです。だから、彼に私たちは自分自身を投影して、心配も同情もするのでしょう。だから、目が離せないのです…。
私たちは、彼でもあり、彼の父親でもあり、彼の母親でもあり、彼の元妻でもあり、彼の息子たちでもあり、彼の弟でもあり、彼の知人、友人でもあり得るのです。あなたは一体 誰?
これからは、彼には、昔の武士道精神を連想させる、「剣道」を一から修行されてはいかがでしょうか? とにかく、身体を使ってエネルギーを発散させること、が大事ですので…。
裸足でやる「剣道」は、「土」には触れませんが、その土からできた「木」が道場の床にありますので、彼にはぴったりな感じがいたします。「清原」氏の剣道着姿もいいものではありませんか?
それで、飯を食えるかといえば、ちょっと無理かもしれませんが、天下の「清原和博」なので、道場を開けば、きっと生徒さんもあつまるでしょう。とにかく、今の生活から脱出すべきです。
いえ、人間と生れたからには、誰にでもやり直せるのです。
要は、その気があるかないか?
意識の問題です。人間としての意識の…。
「男、清原よ、ガンバレ、あなたならできる!」
※注)この「姓名本質リーディング」は不完全ですので、正式な「姓名本質リーディング」ではないことをお断りさせて頂きます。「カウンセリング」ではご本人の「潜在意識」は、他の様々な直観イメージ技法や「姓名言霊カード」で行っております。
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