姓名(本名)は魂の本質を表す!
日本語には「一音一音」に意味があります。二音、三音の単語になれば、その意味がより強調されて、それが「言霊思想」に繋がっています。そういう意味で、日本人にとっては「姓名(名前/本名)」の一音一音の響き(ヒビキ)にはその人の「本質」を表すモノが潜んでいます。
★姓名(本名)は魂の本質を表す!
しかも、姓名(本名)の漢字やかな・カナのもつ「イメージ」や「想念」や「概念」が重要で、それが潜在意識を支配して、人間の外見にまで及びます。だから、自分では見えない顔や背中(後ろ側)は、その人の「潜在意識」を表すとも言われる所以です。
世の中であなたを表現するのがこの姓名です。だから、姓名(本名)はあなた自身(魂)を表すとも言われます。
同じ姓名(本名)であっても、本人がその姓名にどういう想念を入れたか(無意識でも)によって、人に与えるイメージも変わってきます。
ということは、その姓名(本名)の持つプラスの想念だけを意識的に入れてやれば、その人の「肉体」や「心」や「環境」までも変えることができるということになります。だから、姓名(本名)は「魂」の本質を表すとも言える所以です。
★姓名(本名)を引き寄せたのはあなた!
なぜ、あなたはその名前(本名)なのか? それは、あなたがその名前(本名)を引き寄せたからなのです。あなたがその名前(本名)を納得して受け入れたのです。
たとえ、両親や祖父祖母が付けたとしても、そのトキ、あなたの魂がその名前(本名)を許可しなければ、あなたの名前(本名)には決してならなかったのです。あなた自身がOKしたのです。
故に、結果的に、あなたが選んだのと同じです。だから、あなたが付けた名前ということになるのです。故に、あなたが「因」であり、「果」なのです。
その本名(名前)でないと、今世ではダメなのです。今世ではその本名で生きると決心して、覚悟して、この発展途上の地球に生まれてきたのです。
死んだらその本名(名前)だけがあなたの生きた証しとなるのです。「他人」に証明できるのは「公」に認められた「戸籍」上の「本名」だけで、それゆえ、本名で生きることに意味があるのです。戸籍以外の「名前」で生きるのは、この世に存在しない「モノ」を生きることと同じなので、「魂」や「霊」のない「モノ(幽霊?)」を生きるとも言えるのです。
★姓名(本名)は今世一代かぎり!
「魂」、或いは「霊」は「永遠」といいますが、「魂」や「霊」は永遠でも、今世は今世限りの「A」という名の「魂」なのです。だから、やり直しはきかないのです。
どんな高価な戒名を付けてもらっても、後の祭り、意味がないのです。
それが証拠に、来世では魂は同じでも名前は「A」から「B(別な名)」に変わります。
本名(姓名)は今世一代かぎり。だから、罪人には一旦、死ぬというイメージを持たせるために、罪を犯せば「本名」を取り上げられて、「番号」で呼ばれるのではないでしょうか?
★姓名(本名)は幸せになるためにつける!
姓名(本名)を付けるときには、付ける人間の誰もが100%の「幸せ」を願ってつけるはずです。
もしもその幸せの「念」が入った姓名(本名)の意味の通りであれば100%の人が幸せになっているはずなのです。
世の中も、その幸せな人間たちが営む世界だから、100%良い世の中のはずなのです。
なのに、実際は、そうではない。良かれと願い、付けたはずの姓名(本名)なのに…。
その原因は、現在の多くの人が「姓名」を軽んじて生きるためだからなのでしょうか。また、その姓名(本名)の意味をしっかり「意識」して生きていないからではないでしょうか。
★姓名(本名)は生きる指針!
だからこそ、姓名(本名)は重要なのです。
今世では、姓名(本名)通りの「生き方」をしなければならないのです。
だから、姓名とは「生きる道しるべ」、即ち、「指針」なのです。
しかし、いかに姓名(本名)通りの生き方をしない人の多いことか!
いかに自分の姓名(本名)が嫌いな人が多いことか!
★氏名とはなすべき使命!
しかし、いくら自分の姓名(本名)を嫌っても、現在は、原則、姓名は戸籍では変えられません。
昔は、身分の高い人は、成人するに従って自由に「名前」は変えられますが、百姓や庶民は「姓(苗字)」を持つことさえ許されない時代もありました。なぜなら「姓」は職業を表していたので、彼らの殆どは、農業に従事する「百姓」なので、あえて「姓」は必要なかった。そのほうが、上の者にとっては都合がよかったのです。
だから、昔の日本人(身分の高い人)にとっては、「育ち」よりも「氏(姓)」に重きを置いていた証拠で、それだけ、彼らは「姓名」、特に「姓」の持つ重要性を理解していたということでしょう。それが、現在の「公人」が管理する「戸籍」の存在に繋がるのでしょう。それは、「姓(氏)」を与えられる百姓や庶民にとっても、祖先の「魂」を大事にするという意識にも繋がるという意味において、姓名が広がり、また「姓」が固定される「戸籍」も定着していったのでしょう。
だから、氏名の「氏」とは、昔は先祖や血族以外にも「職業」を表し、この世で成すべき「使命」を表していたのではないでしょうか。「姓名を穢す」とは、「自分を穢す」ことと同じなのでしょう。
だから、私(三宅)は、この「姓名(本名)」がその人の人生を左右するのではと考えたところから、この姓名本質リーディングにいきつきました…。
★日本人が漢字の姓名を捨ててひらがなカタカナの姓名で生きる時期?
実は、私は、漢字の怨念から逃れたいために、一時期、ペンネームとして「ひらがな」や「カタカナ」に変えようと思った時期もありますが、やっぱり、戸籍が変わらない以上、それは良くないと強く感じて、変更するコトをやめました。
ただ、感じますに、もう自分の運命が気にならなくなったトキや、或いは、社会のため、人の為に役立ちたいと思ったトキは、未来に生きる意味でも、漢字から脱皮してもいいようにも感じています。それは「あの世」への準備に時期に入るトキなのでしょう。
それが60才という還暦を意味しているのかもしれません。年を巡るという意味は、生まれてからの60年は、人の為、世の為に生き、次の60年は、自分の為に、生きるという歳月ではないでしょうか。皮肉なことに、人の為に生きたいと意識したトキが、自分の為に生きる「還暦」からのトキとは…。やはり、あの世とこの世は写し鏡の如く、反転された現象が…。
そういう意味で、前半の60年は、戸籍の名前できっちり生きて、後半の60年は、「漢字の呪縛」から脱皮して、お好きな「ひらがな」や「カタカナ」の言霊名で生きるのも良いのではと存じます。「還暦」を過ぎた方は大いに「ひらがな」や「カタカナ」で自分の好きな人生を全うして頂きたいと存じます。
要するに、私の姓名(本名)に対する結論は、
1、戸籍の漢字の姓名(本名)を使用するのは60才(還暦)までで、それはご自分の使命を全うさせるためと思って下さい。その場合は、人のためにお役に立つという強い意識が必要ですので、ご自分の「幸せ」は意識しないでください。
2、60才を過ぎれば、「ひらがな」を使用する、或いは、ひらがなで好きな名前に変える。
3、最後にこの世に旅立つトキは、「カタカナ」の名前に変更して下さい。その場合は、本名のカタカナに戻して下さい。
私も、もう還暦をとっくに過ぎましたので、自分の気に入った名前を「ひらがな」で使おうと考えておりますが、姓名本質リーディングや心理カウンセリングは、今の「三宅麗子」でガンバリたいと思っていますので、どうかよろしくお願いいたします。