ヒト・モノ・コト直感感想!(14)新元号「令和(レイワ)」と他の「元号」を解読リーディング!
この(14)「ヒト・モノ・コト直感感想!」は、大阪で悩みをお名前と潜在意識から読み解く本質と使命とトラウマの「姓名本質リーディング」の姓名リーダー三宅麗子のブログ(投稿頁)です。
★ヒト・モノ・コト直感感想!(14)
◆新元号「令和(レイワ)」と他の「元号」を解読リーディング!
今日は、姓名リーディングの「技法」を使って、今話題の、新元号の解読リーディングをさせて頂きます。
また、新元号の「令和」だけでなく、比較するために、「平成」や「昭和」や「大正」や「明治」などもやります。
これをお読み頂く前に、私の別サイト「直観ひとりごと(223)新元号「令和」に、本質の姓名リーダーとして思う!→」をお読みくださいませ。どうかよろしくお願いいたします。
フリガナの「レイワ」のほうは、先の別サイトでも、不思議な「字」と書きましたので、これについて、まず、お答えします。
話せば長くなりますので、ここでは、事実だけ述べます。要するに、カタカムナの図象符の「声音符」の「レ」という字には、もともとは、小円がなく、楢崎氏が独自に(勝手に)小円を付けたという事実!
なぜ、楢崎氏は、もともと小円がない「レ」に、わざわざ「小円」を付けたのか? この事実が、問題です。
さらに問題は、後継者の宇野氏には、入れても入れなくても、どちらでもいいという曖昧な説明しかしなかったのは、なぜ?
これも、気になる問題ですね~。有っても無くてもいい、見えても見えなくてもいい…。
楢崎氏は科学者なので、彼の「意識」には、これは、波動でも、粒子でも、どちらでもいい…。ということでは? この概念は、「量子」の世界、なのでは? と私は、感じました…。
その当時のアインシュタインの「相対性理論」全盛の時代で、きっと、楢崎氏は、何か、違和感を感じていて、それで、「潜象物理」なんていう言葉を「カタカムナ」に当てたのでしょうね。だから、「カタカムナ」って、本当は、アインシュタインの「特殊相対性理論」に対して、楢崎皐月の「潜象相似象理論」ともいえるのでしょうか?
昔も今も、理解不能な「言葉」を作るのは、物理学者や、数学者たちの、専売特許であり、お手のものであり、悪い意味での、独壇場と化しています。理解できない「概念」を作く学者ほど、この世では尊れる傾向にあり、故に、理解できないように作るのが得意中の特異な人たちが、数学者や科学者なのですから…。そして、楢崎氏も、悲しいかな、偉大なる科学者のお一人なのですね。
それはともかく、楢崎氏は、その不可解さを「レ」で悟ったのでは? 「レ」はあの世でもこの世でも行き来する「言霊」? だから、アマの世界とカムの世界を考案した? このアマもカムも科学者の考えるごとく、とっても複雑です。でも、私は、この世もあの世も、いえ、宇宙全部が、シンプルだと、直感しております。
なぜならば、私は、この世は、海の水よりも薄い、空気で覆われていて、決して「無」ではなく、「真空」でもなく、決して「0」でもない。0と1で割り切れない世界もある? それが「空」では? でもこの「空」には、数字がない! だから楢崎氏が科学から離れて、潜象物理を提案した?
しかし、悲しいかな、楢崎氏は、「空」の数字を作ってくださらず、ややこしい概念ばかり作られたのです。ゆえに、言い変えれば、今の世では、「空」に当る「数字」と「空」の物理を構築しなければ…。早く、「空」に数字を与えなければ…。
とにかく、私は、この「レ」の「令和」は、いよいよ、量子物理学が完成されて、あの世へ移行できる時代に突入したと、イタク感じます。しかし、それには、今までの古い概念を脱ぎ捨てて、新しい量子論に添った「意識」を、自分の37兆個ある細胞の隅々まで、浸透させない限り、中々、難しいのかもしれません。それをできた人だけが、この「ラ行」の流転の、時代を、まるで重い体などないように、、スイスイと、あの世とこの世を行き来できるのでしょうね。それは昔昔の神代の時代の神様と同じように、なるのでしょうね。
だから、「レ」の時代は、「曲者」の時代といえる。まるで、「さなぎ」から「蝶」に変わるようなイメージでしょうか。人間から羽のある天使に変わる…。
そう考えると、楽しいですね~。嬉しいですね~。
もっと、いろいろ書きたいことはあるのですが、このブログでは書き切れませんので、いずれ、別な機会に、これをとりあげたいと存じます。
さて、上右の図象符を見て頂ければ、それをキッチリ、現しています。「レイワ」の①左は、楢崎氏の図象符、②右は、カタカムナの図象符、です。①の赤のヨコ線は、物質系であり、国津神であり、神とはすなわち、エネルギーであり、作用である。左右の二つの赤小円は、現実活動に勤しむことが、目に見える、実のなる「粒子」となり、正当な行為です。
しかし、②右は、「ヒ、カ」に小円がないので、形にならず、「波動」としてしか捉えることができず、実感として、捉えることが難しいのですね。
観察者が①「左」を意識すれば(物質を意識すれば)、目に見える「粒子(男性性)」となり、観察者が②「右」を意識すれば(精神を意識すれば)、目に見えない「波動(女性性)」として現れる…。観察者の意識が現実を創造する!!! まさに、これは「観察者効果」といわれる「量子物理学の世界」でしょうか。だから、「レ」は、「曲者」なのですね~。ゆえに、どちらに偏り過ぎても、ちょっとヤバイ! 要するに、光の素粒子は、「粒」にも「波」にも変わるというか…。
●【言霊解読(一音多義)】の「レイワ」の「レ」は、「分れる。離れる。外れる。潜象としての密度の高いエネルギー量。質量。量を指す。有る。そのものの量を指摘する。距離をおいてその存在を指摘する。命令的な意味。消失。九つを超えた限りなく十に近い数字で示せば9.9999・・・・・の思念。エネルギーが過剰な状態、すなわち極限(ヤ)を超えて転がり出たマリが、(マ)の境界面にビッシリと密着している状態を示している図象と考えられる。恐れ。神威。秘呪。受霊力。分かれて伸びていく。恐れ。神威。こぼれる。生命の根を別ける。結合。分かれ。離れ。根を分ける。産霊のとけて魂の緒のみ遺す。稀に見る心の持ち主。結実して種となり地上に落つる、母体より子供の生まれる。」
カタカムナ的解釈は、楢崎氏の小円が有るとしての解釈なので、無い場合は、解釈が変わるでしょう。また、レ=0(ゼロ)ではないということも、この「レ」の解釈を複雑にしています。上の解釈は、楢崎氏的、レ=0的な解釈といっていいので、今までの物質文明ではいいのですが、「未来」の解釈としては、やはり、ちょっと、マズイ!
「イ」は、「現象粒子。最初の最小のハジマリのもの。時空の元の原点。」 「ワ」は、「和する。マトマリ。有限の境界をもつ。」
●「平成」の「ヘイセイ」の「ヘ」は、「方向。方向性。多様性。辺縁。周辺。考へる。方向性を示す。方向性をもつ力。渦(ウヅ)に並行に重なること。現象の四相の形態をとり方向性をもつ力。生物の最も根源的な方向性の因って来る。縁。辺。平行、平らな場所。外側。水平方向に作用する四相(発展、結球性、ナギ性。渦)に並行に重なること。生物の最も根源的な方向性の因って来る現象の四相の形態。ヨコ一につながる。連結。広がり。隔てる。へさき。経(へ)。縁(へり)。男根(へのこ)。舳(へ)。隔てる。生命を継ぐ。」
「セ」は、「狭まる。勢い。現象に出る勢い。」 「イ」が二つあることに注意。「イ」は、「レイワ」の「イ」参照。
●「昭和」の「シヨウワ」の「シ」は、「示し。表明。示されている。指し示す。場所。作られた。そのチカラが示される。潜象。存在する。発生する。現象として示されている。現象界の存在。現象。死。作る。時間的に継続している暗示的なものの思念。締まる。意志。統一。水。潮。雫(しずく)。滴る(したたる)。静か。しじま。幽気。治す(しらす)。弱き光。」
「ヨ」は、「正反四相性。混沌。湧き出る。」 「ウ」は、「産み出す。境界。渦。」 「ワ」は、「レイワ」の「ワ」参照。
●「大正」の「タイシヨウ」の「タ」は、「独立。分離独立。独立的に。出る。分離する。発生する。発達する。指。吐露。分離独立を示す。独立的に出現する。独立的に離れたもの。ものがもとから分けられて独立的になる。手の指。分かれる。表に立って出ていく。立てわけ。立ち上がる。田。平ら。魂。民。高く現われ。現れ立つ。建く。高い。高く生長。」
「イ」は、「レイワ」の「イ」参照。「シ」は「シヨウワ」の「シ」参照。「ヨ」は、「シヨウワ」の「ヨ」参照。「ウ」は、「シヨウワ」の「ウ」参照。「ワ」は、「レイワ」の「ワ」参照。
●「明治」の「メイシ」の「メ」は、「芽。目。発生。芽が出る。芽生え。ワレメ。発生する。潜態。芽を出すように発生した潜象過渡の極微の粒子。カ(潜象)のチカラがマ(現象)に出る。女陰。女。発生により柔らかく調和している。指向。思考。カ(潜象)のチカラがマ(現象)に出る。今は小さくても時間の経過と共に発達するもの。表面に出ている部分は小さくても、見えない所に大きな広がりを持つもの。柔らかくて新たに出ていくもの。柔らかく調和している。発展性。受身。霊威。可愛らしいものへの愛。雌。女。恵む。愛でる。物の芽生え。むし出されたる芽。始め。」
「イ」は、「レイワ」の「イ」参照。「シ」は、「シヨウワ」の「シ」参照。
こうして見てみると、同じ「字」がよく出てきます。遡って、全体的に見てみると、
「明治」は、ただただ、目的に向かって、働くことが「正」で、目的や、使命や、資格や、肩書が生きる時代。しかし、達成感はなかなか難しい。
「大正」は、本来一番、物質世界では、願望成就しやすい時代で、一人一人が、自由に、仕事を見つけ、働く事に夢中になり、それぞれが成功に向かう時代。それには、時間がなさすぎた。大正は、「働くことが正しい」時代。生きるため、生活のために働く時代。
「昭和」は、「大正」のその時間の無さで、無理を強いられる結果となった…。しかし、一生懸命、仕事に没頭した結果、実を結ぶ時代。それには、戦争なんて、トンでもない。やはり「大正」の完成に無理があり、それが昭和には裏目に出た…。でも、昭和は「働くことが正しい」時代だが、それは、生活の為ではなく、自分の肩書や資格えを得るために働く時代。
「平成」は、「昭和」の戦争だけでなく、ビジネスでも企業戦士とまで揶揄された「昭和」の逸脱してしまった時代のために、その揺り戻しで、働くためではなく、好きなことややりたいことを、自由に見つけることに、一生懸命になる時代。働くことが「正」ではなく、自分の存在を知ら示す時代。ようするに、自由人として生きる時代。
そして、「令和」は、地位や名声やお金に囚われることなく、生活の糧を得るためよりも、自分の好きなこと、やりたいことを「一心不乱(粒子)」に、いえ、あるいは「無心(波動)」にやり続ける人が、報われる時代。
これからの「令和」の時代に生きる日本人は、ライバルは、日本人ではなく、あるいは、人間ではなく、AIロボットや、さらに、宇宙人となるのでは、ないでしょうか? 地球に縛られるのではなく、より宇宙的な意識をもつ時代。とはいっても、地球を超えられるのは、その地球にしっかりと地球人として生きた人のみが、それを超えて宇宙に羽ばたけるという、ちょっと、パラドックスな時代かも?
要するに、「令和」の時代は、宇宙の中に漂う「地球」で生きる宇宙人(地球人)と、他の星から来る宇宙人との、関わりが、本格化してくるのでは?
だから、今までの概念は、全く、通用しない時代が「令和」の「レ」の時代です。
【神名解読(図象符)】の「明治」は、神名は、1柱です。①イズノメ(伊豆能売神)で、【天】[別]伊都能売神(イヅノメ)。伊豆は厳で斎み清める、神聖にする、汚穢を洗って清められたことをあらわした神。メは女神。 神産みにおいて伊邪那岐命が黄泉から帰って来た際、黄泉の穢れから禍津日神(マガツヒ)が生まれ、その禍津日神がもたらす禍(災厄)を直すために、直毘神二柱(神直毘神、大直毘神)と伊豆能売が生まれた。伊豆能売神を、速秋津日子神・速秋津日売神と合体した神様、夫婦神とする説もある。
「明治」には、「神名」が、ある、付いているので、明治維新がせいこうしたのでしょうか。
「大正」も「昭和」も「平成」も神名は、無し。
「令和」の神名は、①左は、5柱で、②右は、2柱です。
①左は、①トキハカシ(時量師神):【天】[別]トキオカシ。黄泉の国を脱した伊邪那岐神が穢れを祓い清める為に禊をした際、三番目に投げた嚢から化成した神。一説に時量師は解き放(ハカ)しで、袋の口を解き放つ意があるとされ、量は他に佩(ハナシ)の意で、袋を解いて身につけるの意とする説や、そのまま量るとし、袋を解いて食料などを量る意とする説がある。陸路全般の神。
②ソホリ(曽富理神):【国】[別]ソオリ。須佐之男命の子の大年神と伊怒比売(イヌイメ)との5神の第3神。「韓」は朝鮮の意で、神名は朝鮮国の神の意。朝鮮から渡来した人々にまつられた。宮内省にまつられる神。新羅国の都である徐伐(現在のソウル)で、曽尸茂梨と同じ語であると古事記伝(本居宣長)はいう。古代朝鮮との密接な関係を反映する。
③ヒジリ(聖神):【国】須佐之男命の子の大年神と伊怒比売(イヌヒメ)との5神の第5神。聖とは「日知」のことで、暦の無かった時代に耕作をはじめるべき日を知る人を尊んで云ったものとする説がある。半島系渡来氏族の陰陽師が信仰していた神である。 聖神は聖神社の古歌の信太狐(シノダキツネ)の信太森のことで、信太明神とも。
④ハヒキ(羽比岐神):【国】[別]波比岐神・波比祇神(ハシキ)。須佐之男命の子の大年神と天知迦流美豆比売(アメシルカルミズヒメ )との第五子神。這入君(ハシキ)の意味、あるいは端引(ハヒ)きの意味で屋敷を守護する神。ハヒキは境界とも。「座摩巫祭神五座」の五神の一神。
⑤ワカトシ(若年神):【国】[別]若歳神・稚年神。須佐之男命の子の大年神の子の羽山戸神と大気都比売神との八神の一神。植物(特に稲)の成育を示す。若年神は大年神、御年神に対しての若で、若い稲の神の意。
②右は、①ワタシ(和多志大神):【天】[別]大山津見神(オオヤマツミ)他。伊邪那岐神と伊邪那美神の子。山の神であり、子は石長比売(イワナガヒメ)と、木花佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ)。
②イタキソ(伊太祁曾神):【国】[別]五十猛命(イソタケル・イタケル)・射楯神(イタテ)。建速須佐之男命と櫛名田比売命の御子。イザナギ・イザナミの子である大屋毘古神(禍津日神と同一神とされる)とは別神であるが、同一神とされることもある。木種(コダネ)をもって天降り、大八洲国(オオヤシマグニ)をことごとく青山にしたという。樹木の神。林業の神。
これからの「令和」の時代には、きっと、新天皇は、今までの血統の「皇族」や皇統の「皇室」に縛られることなく、霊統の5柱の何れかの神様や、或いは、2柱の神様に見守られて、この地球を守る、偉大な「天皇」となられるのでしょうね。
でも、ちょっと不思議なことに、「大正」も「昭和」も「平成」も「神名」は、「無し」というのは、一体、どういうことでしょうか。
きっと、皇室や皇族や宮内庁が仲良く一丸となるために、「神名」は無しだったのでしょうか。その結果、「大正」はトキ(短かい時代)に、「昭和」は世界(敗戦国に)に、「平成」は土地(東北が打撃)に、背かれる結果となってしまった…。
「令和」の①左の、5柱は、それぞれ意味深長です。
また、②右の、2柱のうちの1柱が、ワタシ(和多志大神)という神名であるのは、何かこれも意味深長です。新天皇が、「私(ワタシ)」という公私のうちの「私」に傾きすぎると、それは、ちょっと、良くないかも? 戒めかもしれませんね。新天皇の皇后の雅子様が新天皇にとっての今後を、良くも悪くも左右されるのは間違いない。しかし、「主」は、あくまで新天皇で皇后は「従」だということを肝に命じなければ…。ここに「命」と同じ「令」の意識が必要とされる…。
新天皇だけでなく、皇室の方々も、私たち一般国民も、「私」に拘って、生きてしまうと、イタイしっぺ返しに遭うでしょう。「私」からも離れ、時からも離れ(トキハカシ)で、空間に飛び立つ「意識」が大切なのかも…。
偉大な天皇になられるかを試されるのが「私」で、「私」が左右する…。要するに、「家族」の意識ではなく、「皇族」としての意識が大切ということかも…。「家」に縛られるのではなく、「皇」を意識すべしということかも? でないと、1/2の崇高な「血」が許さない?
この世に偶然って、ないのですから…。
ざっと見てきましたが、今日は、これくらいで終わりにしますが、今までの概念を捨てさえる勇気のある人だけが、次元所上昇できるのが「令和」でしょうね。
という意味で、やっぱり「レ」って、ちょっと曲者で、難解です。私にとっては…。みなさんは、いかがでしょうか?
皆さまにとっても、日本人にとっても、良き「令和」でありますように…。
そのためには、新天皇様が、健やかに、末永く、国民と共に、生きてくださいますように…。
これは、あくまで、一姓名リーダーの直感であり、主観ですので、信じるも信じないも、全く、自由です。どうか、良い意味だけ、信じて頂ければ、こんな幸甚なことはございません。
ありがとうございました…。