有名人の姓名本質リーディング(45)三浦春馬さんの死に対し心より冥福をお祈りします。
★有名人の姓名本質リーディング(45)
◆三浦春馬さんの死に対し心より冥福をお祈りします。
三浦春馬さんの自殺のニュースにびっくりされた人も多かったと思います。私もそのひとりです。
三浦春馬さんの冥福をお祈りします。
でも、彼のもつ雰囲気からは、それを秘かに感じとっておられた方もいるのでは…。
それほど、三浦さんのイメージは、若者には珍しい、人間的欲望を極力抑えたというか、それが見えないというか、極端にピュア過ぎる、澄んだ雰囲気を醸し出していたようです。
でも、何事も過ぎたるは及ばざるが如しで、この世は清濁をあわせもった世の中なので、きっと彼には住み難い社会だったことでしょう。
本当は、そういう苛酷な、厳しい、善悪を超越した、清濁のまじりあった環境で生きて、それを正すために、生まれてきた尊い魂なのでしょうね。
そういう理不尽な、腑に落ちない社会を正すために、人間として生まれたきたような…。
それが証拠に、まず、生まれ落ちた環境が、人間としては、とても厳しい人生を強いられることに甘んじる崇高な「魂」なので、最後の死を「自殺」で終わってはいけないのです。決して…。
なぜならば「三浦春馬」という図象符の神名の代表は、祓戸大神(ハラエド)であり、罪穢れを祓い清める、祓戸四柱(瀬織津比咩神〈セオリツヒメ〉速開都比咩神〈ハヤアキツヒメ〉気吹戸主神〈イブキトヌシ〉速佐須良比咩神〈ハヤサスラヒメ〉の神の総称)なのですから…。しかし、この神名は芸名としてもつにはちょっと厳しすぎる…、いえ、彼だから、この神名を持たざるを得なかったのかとも感じますが…。芸能界を澄んだ社会に変えるには、あと30年ほどこの世界で生きていかないといけなかったのです。ご自分がこの芸能界で、真の芸に目覚め、それを極め、それを見る人の目を楽しみさせて、心豊かにさせるために、ガンバれば、この社会も少しは、清い世界に生まれ変わるのですから…。そういう使命を持って生れたきたのですから…。
しかし、この世の中を祓う潔癖な神名が、自分の外に向かわず、彼の場合は自分の中に向かっていった故の「死」でしょうか…。
エニアグラムでは、平和主義者/調停者ですが、彼のまず、いの一番に正すべき相手は、自分の母親だったのですが…。彼のピュア過ぎる雰囲気が、母親との対決を、苛酷で、不安定で、生き辛い環境に、自分を追い込んでいったように感じます…。もともと芸能界に入るべき人ではなかった、いえ、芸能人としては不向きな人だった…。
さらに、三浦さんの本名である「笹本春馬」の図象符は、ナンと、宇宙の中心神で、最高神である天之御中主神(アメノミナカヌシ)なのです。これは何を意味しているかと言いますと、私生活では、母親は塞坐黄泉戸大神(サヨリマスヨミド)で、母親よりも断然魂が高いので、母親のいうことを絶対に聞いてはいけないのです。三浦氏が母親の希望で芸能界に入ったのが悲劇の始まりかもしれません。いえ、やめるトキを自分の意志でやめなかったのが原因かもしれません。すべては、自分の責任であり、原因であり、結果ですから…。なによりも世の中以上に清濁あわせもつ芸能界には、清すぎる彼の存在は不幸のなにものでもありませんでした。同じ芸能界でも、真の芸を追究する「場」や評価される「場」で生き切れればよかったのですが…。もう少し、我慢というか、忍耐が必要だった、本当に残念です。
この本名が「天之御中主神」というのも、私は彼のストイックなまでに自分を追い込んでいく性格に繋がっているような気がしてなりません。他者に向かうと、それこそ、全員が不完全であり、きっと我慢がならなかったでしょうから…。本当は、人に目を向けるのではなくて、自分の生きている環境や社会を見直していくという方向に少しつづ目を向けていけばよかったのでしょうね。とにかく、この最高神の天之御中主神を本名に持つ人は、人間的欲望を追求しすぎると苛酷な人生を強いられることになりそうです…。
天之御中主神を活用させるのは、自分自身や他社に対してではなくて、一番の近い人間である「母親」だったのです。人間は、誰でもが両親、特に母親を成長させるためにその子供として生まれてくるのです。だから、三浦氏も、母親を悟らせるために、この世に生まれおちた魂なのでしょうね。一番好きで、一番嫌いな母親を改心させるために、身をもって「死」で示したのでしょうか。
そして、一番悲しみ、後悔の念にかられているのが最愛の「母親」である、お母さんなのでしょうね。
三浦春馬さん、どうか、心安らかにお眠りくださいませ。
※注)この「姓名本質リーディング」は不完全ですので、正式な「姓名本質リーディング」ではないことをお断りさせて頂きます。「カウンセリング」ではご本人の「潜在意識」は、他の様々な直観イメージ技法や「姓名言霊カード」で行っております。