有名人の姓名本質リーディング(3)SMAP「稲垣吾郎」の本質は?
この(3)「有名人の姓名本質リーディング」は、大阪で、悩みをお名前と潜在意識から読み解く本質と使命とトラウマの「姓名本質リーディング」の姓名リーダー三宅麗子のブログ(投稿頁)です。
★有名人の姓名本質リーディング(3)
◆SMAP「稲垣吾郎」の本質は?
おはようございます。三宅です。
今日も、「SMAP」の「稲垣吾郎」の姓名リーディングです。
三人目を誰にしようかと迷ったのですが、やっぱり、彼に落ち着きました。
彼に頑張っていただきたいという意味も込めて…。
彼の姓名の「稲垣」の「稲」は、【「禾+(うすの中でこねる)」】
意味は、【いね。ねばりのでる穀物の一種。うすの中でこねて、ねばらせる米。】とあります。
「稲」は、日本の食文化、お米の文化ですね。
でも、お米は、主食ですが、決して主役にはなりません。
主役になれないのではなく、なってはいけないのですね。
主食は、ずっと毎日食卓に出るものですが、味を主張してはいけないのです。
飽きられますから…。
主食と主役は違います。
主食は、副食である「おかず」の肉や魚の味を引き立てる役目でないといけないのです。
「おかず」は毎日いっしょでは、1週間もすれば飽きられてしまいます。
でも、お米は決して飽きません。
ずっとずっと、長く食べ続けられるものなんです。
それが主食であり、決して主役になってはいけないという意味です。
それがお米、「稲」の持つ特長であり、絶対的な強みですね。
その特長をもつ彼は、やっぱり、主食のお米を目指すほうがいいのですね。
でも、お米の銘柄にも色々あるように、ブランドの「コシヒカリ」を目指す必要もあり、ですね。
主役ではないけれど、主役を引き立てて、どんな役もこなす、なくてはならない存在感ある脇役に徹する。
それも、主役の次の副主役というような位置が…。
その場合は、「ねばり強さ」がキーワード、それを発揮していけば、大丈夫!
さらに重要なことは、稲は、人間の手によって育つものです。
ということは、彼には、彼をサポートする強力なスタッフ陣が必要です。
彼を慈しみ、育て、守る人たちが…。
そういう人たちがずっとそばにいるかどうかで彼の行く末も決まってきます。
でも、名の「吾郎」の「吾」がマイナスに作用すれば、「稲」も枯れて不作に終わってしまいます。
また、「稲」の左側の「禾」ですが、【穂のたれたあわの形を描いたもの。まるくたれる穂の形、あるいはまるいつぶに注目したことば。】
意味は、【あわ。いね。穀物の総称。】とあります。
まるく、ま~るく、腰が低く、温和で優しい性格をもっと極めて、それを売りに前面に押し出すことが必要です。
また、「稲」の右側の「字」は、【(手の先)+臼(うす)」で、手でかき回して、臼から中の物をとり出すさまをあらわす。】
意味は、【くむ。うすやなべの中から、かき回すようにしてモノや液体をとりだす。くみとる。すりばち。】とあります。
その上部は「爪」で、【原字は叉であり、手の指先に、二点印をつけて、つめのある所を示したもの。爪は手をふせて指先で物をつかむさまを示し、抓(つかむ)の原字。】
意味は、【つめ。指先にあって、ひっかくつめ。つかむ。指先でつかむ。かく。つめでひっかく。】とあります。
これらから、「爪」のイメージがありますので、「爪」や手先は常に清潔にしていることが必要です。
また、「能ある鷹は爪を隠す」「爪に火を灯す」「爪の垢を煎じて飲む」などの爪に対しての良い意味の諺を忘れないことですね。
ひけらかさないこと、贅沢は敵で倹約する。そして、模範となる人をつくる、あるいは自分自身が模範となる、などなどが運を良くするでしょう。
下部の「臼」は、【きの半円にえぐってくぼませたさまを描いたもの。】
意味は、【うす。うすづく。穀物をつくときに用いるうす。また、うすでつく。太古には地面をくぼませてうすとし、のち石や木をえぐってつくる。】とあります。
そして、「稲」を食べられるお米にするには、「臼」がひつようなので、「臼」になってくれる人も必要でしょう。
とにかく、彼には、信頼おける強力なブレーンが必要です。
すでに、いればいいのですが…。
現段階では、ちょっと…。
次に「稲垣」の「垣」ですが、【「土+亘」で周囲にめぐらした土べいのこと。】
意味は、【かき。周囲をとり巻いたかきね。かきねでとり巻いた役所。】とあります。
周囲をとりまいて、「垣」根(かきね)を作ってしまうイメージがします。
本当の彼は、かきねに隠れていて見えません。というより、見えないような心理状態にあるのでしょうか?
人に本心を明かさない、常に殻をかぶっている、それがネックとなっています。
それが高じれば、信頼できない、信用のおけない人物というレッテルを貼られてしまう。
お米も玄米は、体にいいとは解かっていても、なかなか食べにくい。
腸の弱い人にはかえってマイナスです。
また、「垣」の左側の「土」は、【土を盛った姿を描いたもの。古代人は土に万物をうみ出す充実した力があると認めて土をまつった。このことから、土は充実したものの意を含む。また、土の字は、社の原字であり、やがて土地の神や氏神の意となる。のち、各地の代表的な樹木を形代として土盛りにかえた。土は地の万物を吐生するものなり。】
意味は、【つち。大地。田畑。また、ふるさと。領有する土地。その土地本来の。いなかふうで。ひなびている。五行の一つ、方角では中央、色では黄色、時では夏の土用、味では甘、内臓で胆に当たる。星の名、土星、鎮星。八音の一つ。土を焼いてつくった楽器。土盛りをして土地の神をまつったもの。社の原字であり、のち、土地の神となる。はかる。度にあてた用法。ど。七曜の一つ。土曜日の略。】とあります。
「土」を味方にできればいいのですが、東京の都会では、それも難しいでしょうか。
田園風景のある場所がいいのでは?
できれば、極力、「土」のある家に住んで、台地からパワーをもらえば、「土」を味方にすることになります。
休日には、「土」を求めて、全国を巡り、癒されるのもプラスに働きます。
都会的な雰囲気よりも「土着」の田舎風なほうが合いますので、ファッションに取り入れるといいですね。
これは「木村拓哉」とよく似ています。
でも、この「土」に縁があるというのは、本当に心丈夫な限りですね。
母なる大地ですものね。
これからも、きっと良い「稲」が育っていくことでしょう。
また、「垣」の右側の「亘」は、【「上下二線+めぐるさまを示すしるし」で、ぐるりとめぐらす意味を示す。】
意味は、【めぐる。ぐるりとめぐる。わたる。端から端までとどく。】とあります。
「垣」根を巡らせるのではなく、自分が「上下二本」の線となって、日本中、いえ、世界中を駆け巡るイメージをすればいいのではないでしょうか?
心の「垣」根を取っ払って…。
「二本の線」というのも意味が深いですね~。
彼が一本で、もう一本の線とは誰?
その一本とは、素敵な伴侶、あるいは、最良のパートナー、または、癒してくれる親友、それとも最強のブレーン…。
とにかく、一人ではだめ。
また、職業も大勢の中で仕事をするほうがいいでしょう。
歌手よりも俳優のほうが向いている。
次に名の「吾郎」の「吾」は、【「口+五(交差する)」語の原字だが、我とともに一人称代名詞に当てる。】
意味は、【われ。わが。一人称の代名詞。】とあります。
読んで字のごとし。
また、「吾」の上の「五」は、【「上下二線+×(交差をあらわすしるし)」で、二線が交差することを示す、片手の指で十を数えるとき、→の方向に数えて五の数で←の方向にもどる。→←の交差点にあたる数を示す。】
意味は、【いつつ。いつ。順番の五番め。五月五日。いつたび。五回。五度。いつつ。午前八時、または午後の八時のこと。江戸時代のことば。】とあります。
ここでも「上下二線」が含まれます。これは偶然でしょうか?
いいえ、偶然ではありません。
交差をあらわすとありますので、一人ではやっぱりだめなのですね。
彼を支えてくれる人がいないと…。
また「五」という数字は、まんなかを意味する数字ですので、「五」人の中の立ち位置は三番目、後ろから数えても三番目、です。
グループでは、まん中なのですね。
それを余りに意識しすぎると、後の二人が追い越していきますので、そろそろ、そういう意識の垣根から取っ払う訓練も必要でしょうか。
「吾」の下の「口」は、「木村拓哉」のところでも書きましたので引用は省略します。
「口」を使う職業は向いています。
生活力も旺盛です。
特にお米は昔はおカネと同じ価値あるものでしたからね。
最後の「吾郎」の「郎」は、【良は粮の原字で、清らかにした米。郎は「邑(まち)+良」でもとは春秋時代の地名であったが、のち、良に当て、男子の美称に用いる。】
意味は、【 おとこ、もと清らかな男子のこと。転じて、妻が夫をよぶことば。また、女性が恋人の男を呼ぶことば。転じて、男子を呼ぶ美称。中央官庁の中級の役人。地名。春秋時代、魯の近郊の邑、山東省にあった。男の子につける名。】とあります。
彼には、ユーモアに欠ける、役人のような「堅さ」というか、イメージがあります。これは、の「郎」からでしょうか?
「郎」の左側の「良」は、【○型の穀粒を水で洗い、きれいにしたさまをあらわす。粮(=糧。けがれのない穀物)の原字。】
意味は、【よい。けがれがない。質がよい。わざがすぐれているさま。人格的にすぐれている人。すぐれていること。まことに。本当に。やや。ずいぶんと。】とあります。
「稲」と関係があり、プラスに作用しています。やっぱり、彼は「コシヒカリ」のブランド米でしょうか。
「郎」の左側の「オオザト=邑」は、、【「□(領地)+人の屈服したさま」で、人民の服従するその領地をあらわす。中にふさぎこめるの意を含む。のちオオザトの形となり、町や村、または場所をあらわすのに用いる。】
意味は、【くに。殷代には、王の直轄のみやこの地。周代には、天子・諸侯および豪族のおさめる領地のこと。むら。国の中心のみやこを都というのに対して、地方の町やむらのこと。】とあります。
「くにやむらを意味し、特に、地方の町や村のこと」を指しますので、やはり、都会よりも田舎のキーワードがプラスに働きます。
また「囗」は、【周囲をぐるりと囲んださまを示す。囲の原字。】
意味は、【かこむ。かこみ。くに。國の略字。】とあります。
また「巴」は、【人のハラばいになった姿を描いたもので、爬(腹ばいになる)の原字。平らに開く、平らな面をおし当てるなどの意を含む。】
意味は、【平らに腹ばいになる。地名。四川省重慶を中心に、長江・嘉陵江流域一帯をいう。ともえ。もと、射手のひじにつけた靹(皮)に描いた絵模様のこと。のち、水のうずをまいてからみあった形をかたどった模様をいい、陰陽和合のしるしとなる。また、人名にも用いる。】とあります。
彼の全体的なイメージは、「垣」根の中でキュウキュウとしている「稲」で、そのため、「垣」根の外の自由を求めて右往左往している自分を常に意識している。
また、そんな自分を誰も助けてはくれないと嘆き悲しむ、「吾」に縛られる、そんな感じを受けます。
常に自分が中心であり大切なのです。そこから意識を離さないとなかなかしんどい人生ではあります。
自分のことは、自分が守るというよりも、周囲が守ってくれるということを肝に銘じる、腑に落とす、ということを命懸けで取り組む必要があります。
人は自分のために生きてくれるのだから、自分はせめて意識だけでも、人のために生きる、と思いこむ。これが出来れば、最高の「コシヒカリ」と絶賛されるブランド人間になれます!
作ってくれる人も売ってくれる人も必要なのですね。彼には…。
「稲」は、植物の中でも、人間にとっては最高のものですので、人間の中で生きることは彼にとっては、名誉でもあるのですね。
人から離れて彼の未来はありません。
また、人の評価が必要以上に気になるということも彼の特徴ですが、それが「吾」を持つ彼にとっては不思議でも何てもないのでしょう。
ここが、ネック、弱点でもありますので、重々気をつけることですね。
脇役に徹する、「いぶし銀」のような、毎日見ていても飽きられてない脇役に…。
自分から離れてこそ見える自分の姿。
自分の姓名に含まれる文字は全て、何らかのかたちで影響があると思います。
それを最大限に良いイメージとして意識し、また悪いイメージはそれを払拭するべく、解決方法を探り、そして、囚われない心で生きていくのが、この姓名リーディングの目的です。
そして、最後には、この世で刻印された、そういうイメージからも解き放たれて、無になって一生を終えるのが理想だと思っています。私は…。
それが宗教でいう「南無」であり、本来は「名無」なのではないでしょうか。
名前の無い存在に還る…。
そういう意味で、漢字のイメージから自分自身を開放して、いえ、刻印された潜在意識から解放して、と言ったほうが解かりやすいでしょう。
解放したうえで、日本語の言霊をプラスに意識して、そしてそれにもまた、囚われずにすべて無にする…。
それが、日本人の言霊思想、なのではないでしょうか…。
このブログでの姓名リーディングは、言霊まで触れておりませんが、日本人ならは、やはりこれが問題を解決する術(方法)ではないかと直感しております。
でも、言霊もさまざまで、私はポピュラーでないほうが、真理に近いと思っております。
ブログではここままでしか書けませんが…。
だから、どんな姓名で命名されても、すべてプラスに生かせるものなのですね。
また、わたしは言霊学者ではないので、自分の直感を大切にしております。
言霊を研究するのが目的ではなく、いかに、自分も含め、人々が悩みから解放されるのかを読み解く道具の一つとして、接しております。
まだ、言霊の100%完璧な答えは見つかっておりません。
だから、これからもずっと直感リーディングしていきたいと念じております。
※注1:このブログ(2010.2.27にアップ)は、削除していたのですが、多くのご要望があったために、今回(2019.2.10)、再度、アップすることにいたしました。ただ、読みやすいように「太字」や「ピンク」にしていますが、本文の内容に関わる部分は、変更しておりません。また、ここでは「漢字」のみの「姓名リーディング」なので、「姓名解読リーディング」や「姓名本質リーディング」ではありません。
※注2:「姓名リーディング」の目的は、本質を知ることです。当てるのではなく問題を解決するために、本人と家族、特に両親もリーディングする必要があります。本人の「姓名リーディング」だけでは、完全ではないことをおことわりしておきます。また、極力、批判、非難にならないように気を付けておりますが、もしそういう風にお感じになれば、私の稚拙な文章のせいだとお考えいただければ幸甚に存じます。敬称は略。
※注3:ピンク色の部分は引用です。引用資料:「漢字源」学研・「広辞苑」岩波書店等々。