姓名は生命!氏名は使命!(2)日本人なら知っておきたい「名字」の秘密!
この「姓名は生命!氏名は使命!(2)」は、大阪で悩みをお名前と潜在意識から読み解く本質と使命とトラウマの「姓名本質リーディング」の姓名リーダー三宅麗子のブログ(投稿頁)です。
★姓名は生命!氏名は使命!(2)
◆日本人なら知っておきたい「名字」の秘密!
今日は、週刊誌に載っていた「姓名」と「名字」の記事を取り上げます。みなさん、週刊誌とバカにすることなかれ!
当社の社長である浜田が出張で、週刊誌を買ったら、偶然「名字」の特集があったので、後日、私にその記事を見せてくれました。その週刊誌とは、『週刊ポスト』の1/17号です。
『週刊ポスト』は、『週刊文春』や「週刊春秋』よりは、より男性趣向が強いようなので、なかなか女性の私などが堂々と買うにはちょっと気が引けるところがありますが、今回のこの記事は、本当に読み応えがありました。
その記事とは、《「究極の雑学」を深める16P企画》と銘打たれたもので、タイトルは《日本人ならば知っておきたい「名字」の秘密》という記事です。
「日本ではほとんどの人が家族以外の人を呼ぶ時に「名字」を用いる。言うなれば、「名字」は、日本人の会話における最大のコミュニケーションツールなのだ。しかし、その名字に込められた意味やルーツを知る人は少ない。日本の名字研究の第一人者とともに、その奥深い世界へとご案内しよう」とあります。
私がこの記事で、一番興味を持ったのは、「名字はかつて、その大半が明治時代の初めに適当につけられたといわれてきました。しかし現在ではその考えは誤りで、江戸時代から武士でなくても名字を持っていたことが、研究者の間では常識となっています。名字とは先祖の生活の中で自然発生的に生れてきたものであり、一族の来し方が込められているのです。一生付き合っていくのに、実はあまり知られていない名字のことを、この機会に学んでみませんか。」というところです。
「名字」、即ち現在使用されている「姓名」は、私たちが生きていくうえでのコミュニケーションであり、生活になくてはならないものなのです。そんな「名字」ですが、姓名判断の影響からか、今までは、余りにも「画数」を問題にし過ぎて、「意味」や「ルーツ」に注目することはなかなかありませんでした。そんな中での、今回の新年早々の記事には、本当にびっくりするとともに、「こいつは春から縁起がいいわい!」と歌舞伎のミエでも切りたい心境です。そろそろもう名前の「画数」の呪縛から離れる時がきたのでしょうか…。
また、《「姓」と「名字」はどう違う?》というコラムでは、概略ですが、「本来、「姓」と「名字」は別物だった。簡単に言えば、「姓」は公式なもので、「名字」は日常使う非公式なもの。公式な書類の名前欄が「姓・名」となっているのはその名残である。(中略)
明治時代、日本が近代国家として歩き出すために戸籍制度を整備したが、その登録の際に、「姓」と「名字」がごっちゃになってしまった。(中略)
元々「姓」とは、古代から存在し、一族のルーツや地位などを示すものとして天皇家から与えられたものである。平安時代以降は「姓」がほぼ固定され、「源」「平」「藤原」「橘」「大江」「菅原」「紀」「清原」「中臣」などに限定された。
その後、武士が誕生し、自分の領地を明確にするために、自らの土地の地名を名乗った。これが「名字」の始まり。そのため有名な戦国武将も「姓」と「名字」が違うケースが多い。(中略)
やがて武士だけでなく、貴族や官僚たちも「姓」とは別に「名字」を使うようになる。「姓」の数が少なく、一族の中で人間を区別するのが困難になったため、日常的な呼び名として勝手に名乗り始めたのだ。そのため、「名字」は自分の意思で自由に変えることができた。特に武士は、新しい土地を支配するとその地名を「名字」としたので、生涯に複数の名字を名乗ることも珍しくなかった。(中略)
そして、時が経つにつれ、便利な「名字」が日常的に使われ、「姓」は忘れ去られていった。江戸時代には自分の「姓」がわからなかった武士も少なくなかった。
さて、本文で触れた通り、現在では庶民も先祖から続く「名字」を持っていたことが定説となっている。
現段階で、最も古い、庶民が名字も持っていたという証拠は、和歌山県の神社で見つかった古文書。室町時代のもので、農民たちの名字が書き残されていた。
そもそも武士と庶民の身分が分けられたのは江戸時代からで、戦国時代には戦のないときには武士も農作業に従事しており、武士と農民の区別はなかった。ただ身分が分けられた後は、庶民は公の場では名字を名乗れなかったため、「名字は広く使われるようになったのは明治以降」という誤解が生まれたのである。」とあります。
この記事の最初にある日本の名字研究の第一人者とは、森岡浩という人のことです。この人の前には、“平成の南方熊楠”とも称される鬼才、丹羽基二という方がおられましたが、2006年(平成18年)に亡くなられてから、森岡浩氏が第一人者となられたのでしょう。
また、この企画には、そのほかの見出しに、《なぜ書類の見本は「山田太郎」なのか》、《「8パターン」に分類される日本人の名字のルーツ》、《あなたは何位?日本人の名字ベスト200》、《気になるあの女優の「稀少名字」のルール》、《“同姓異読”名字を読み間違えないための法則とは》、《日本プロ野球珍しい名字ベストナイン》、《ライト兄弟の先祖は「大工」だった?》、《日本一の大企業「トヨタ」が濁音を取った理由》、《出席簿出必ず「最初」になる名字は?》、《エキスパートでも解明できていない「名字の謎」》など、興味満載となっておりますので、一度、この週刊誌を手に取られてご覧頂ければ、きっと、ご自分の名前の名字に対する思いもまた格別のモノとなるでしょう。
その結果、日本人としての歴史に興味を持って頂いて、誰でもが、歴史を見直す姿勢となり、今の愛国心の無い国民から少しは脱皮できるのではないでしょうか?
そうすれば、日常における不満や不信や心配事も、また違った視点から見直すことも可能となり、それはとりもなおさず、日本人としての誇りやプライドも取り戻すことができると思っています。
それには、まず、自分の名前である「姓」や「名字」に興味を持つことが、第一歩ではないでしょうか? 新年を迎えまして、この企画が持たれたことは、何か偶然とは思えないような気が致します。
「名前」に興味を持つ人間として、こんな嬉しい企画はございません。普段は、男性週刊誌など見もしなかった私ですが、これからは、意識して目にとめようと思っています。本当にありがとうございました。
この週刊誌の企画の取材・文/鵜飼克郎(ジャーナリスト)、イラスト/スヅキサトル、撮影はWEST、写真/共同通信社、時事通信社、産経新聞社です。
森岡浩
1961年、高知県生まれ。姓氏研究家。野球史研究家。早稲田大学在学中から独学で姓氏研究を行い、文献だけにとらわれない実証的な研究を続ける。近著に『戦国大名家辞典』(東京堂出版)、『あなたの知らない近畿地方の名字の秘密』(洋泉社新書)、野球関係では『高校野球甲子園全出場校大事典』(東京堂出版)などがある。
丹羽基二
1919年、栃木県に生まれる。国学院大学文学部を卒業。地名・苗字・家紋の分野ではわが国で最高の権威。長年にわたって、約30万姓の日本人の苗字を渉猟してきた“平成の南方熊楠”とも称される鬼才。2006年(平成18年)、他界。アマゾンより。
これからも、このお二方の書物を読ませて頂いて、この姓名リーディングももっとバージョンアップする所存ですので、どうかよろしくお願いいたします。
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