姓名(名前)を取り巻く日本の事情!
昔の日本の歴史上の人物の名前(姓名)は、ほとんどが本名ではなく俗名(呼称)です。現在ではあまり「本名」は伝わっていないことが多いのです。呪や念を恐れてのことでしょう。それほど、昔の日本では姓名(本名)は、自分=命として大切に考えられていたのですね。
★日本の神様の名前はその働きを表す!
日本の神様の名前(神名)は、機能や作用や働きを表し、本質はエネルギーを表す。故に、人間の名前(人名)も、その人の働きや作用や意識を表し、本質はエネルギー(霊魂)を表す。
「古事記」などの日本の神様の名前(神名)は、その神様の特徴や活動、則ち、機能や作用や働きを表しています。そして、その神様の本質とは、その神様のエネルギーをも表しています。
例えば、天之御中主神(アマノミナカヌシノカミ)様とは、天の中心的な存在を意味します。
また、天之常立神(アメノトコタチノカミ)様とは、天の神で、高天原を永久に守る神様で、国之常立神(クニノトコタチノカミ)様とは、地を生成し、永く守る続ける神様です。
さらに、神様の名前で、人間にとって一番重要なのは、やはり国生みの神様である伊弉諾/伊邪那岐/伊耶那岐(イザナギノミコト)の男神様と、伊弉冉/伊邪那美/伊耶那美/伊弉弥(イザナミノミト)の女神様でしょう。この二神様は、科学、物理学でいう「粒子」と「波動」に関係しているのではないでしょうか? 或いは、ユング心理学でいう「アニマ」と「アニムス」を表しているのかも…。
だから、人間に付けられた名前(姓名)も、本来は、この世で生きるための使命や指針を表しており、いわば、お名前(姓名)とは、その人の人生の羅針盤でもあります。
だから、姓名はその人の生命を表すともいえるのでしょう。
★昔、本名は極秘に!
言霊では、名前(姓名)は実態といわれ、本名を知られれば、当人の生命が薄れると恐れられています。
あるいはまた、本名を呼ばれたら、直ぐに呼んだ人の許にいかなければならないと信じられていたのです。
本名は呪詛に関わり、呪われて傷つくなどと恐れられ、だからその結果、本名は極秘にされた時代もあったそうです。
故に、言霊の国、昔の日本では、本名(姓名)は、実態と言われ、身内の人以外には、極秘にされたのです
★中国では生年月日が極秘!
しかし、お隣の中国や韓国では、誕生日の方を重要視して、本当の生年月日を知られるのを極端に嫌がります。星の運行で占う「占星術」が重んじられていたからではないでしょうか?
それにひきかえ、日本では、言霊思想が影響してなのか、名前(姓名)の方を重要視したのではないでしょうか?
それほど、日本人にとっては、姓名は重要だったのでしょう。ということは、姓名とは言霊とも言えるのでしょう。だから、姓名は御霊(ミタマ)とも言え、姓名は「本質」、とも言えるのです。
★支那(中国)の漢字とは?
未だに、日本人は、支那(中国)からの伝来と言われる漢字の呪縛から、逃れられないのです。今こそ、弥生人によって消された、縄文人の言霊を取り戻すトキなのです。
昔の中国(支那)から輸入の漢字は、人間の生活様式や意識からできているので、結構、悪い意味や怖い意味の文字が多いのです。「幸」や「愛」や「民」等々、数え上げればきりがありません。
だから、言霊思想を持つ日本人は、漢字(肉体)からの呪縛から逃れ、言霊のカナの音=ヒビキ(精神)で生きるのが、日本人らしい生き方で、またそれが、カルマから離れられる生き方なのでは、と感じています。
★天皇には氏名がない!
天皇に「氏」や「姓」がないのは、初めからお役目が決まっているということ? そういうところから、姓名は生命を表し、氏名は使命を表すと、リーディング(解読)した意味が理解できたのです。
それほど、自分の本名(姓名・氏名)はその人の運命を左右するほど大切なものなのです。それが証拠に、現在の戸籍はほとんど姓名の改名は認められていません。複雑だからというだけではないように感じます…。革命などを起こす不遜な思想を持つ人間をつくらないために、コロコロと、底辺の国民や庶民には姓名(本名)を変えさせないのではないでしょうか?
★罪人は姓名(本名)を剥奪!
また、一番私が注目したことは、罪人になれば、本名(姓名)を取り上げられ、番号でしか呼んでもらえません。これはいったいどうしてなのでしょう。
もしも、本名(姓名)がただの記号であるなら、罪人でも本名で呼んでもいいのではないでしょうか?
なぜ、呼ばないのか? ここに、何か、本名(姓名)の持つ重要なヒントが隠されているのではないでしょうか? だから、本名(姓名・氏名)はただの「記号」ではないのでしょうね。
★死んだら「名無~」!
そして、死んだら名前(姓名)は無くなります。「名無~」です。お経の「南無~」は、本当は「名無~」でしょうか。
もともと、人間の姓名など宇宙では必要のないモノなのでしょう。唯一の神(カミ=源=宇宙)に還る…。
それを実現するために人間はこの世に何度も生まれ変わり、新しい本名(姓名)で生きねばならない。それが達成できたとき、輪廻転生はなくなり、名前(姓名)も必要でなくなり、真の「名無」となるのでしょうか。これはあくまで私のリーディング(解読)ですが、当たらずとも遠からず、と確信しています。
他の説では「南無は南が無いから」という説もあり、これは南の大陸(ムー)が沈没したからという意味だそうですが、でも人間の意識にカカワルのは、やはり「名無」のほうがピンときませんか?
「南無~」は半霊半体の人間が使用し、「名無~」は今の肉体の人間が使用なのでは?
だからやはり、私たち物質人間だから、「名無~」では?
★音読みの名前(姓名)が増えたのは「言霊」が入っていない証拠?
音読みとは、中国読みです。昔の中国では焚書が当たり前のように行われ、そういう人たちが、戦争で国が滅びるとともに、祖国の中国を捨てて、日本に逃げてきたのです。要するに亡命してきた。そして、武力や権力で、もともと日本に住む原住民を蹂躙し、その結果、日本でも「焚書」が行われたことは、別にとんでもない発想と否定はできないのでは? そういう祖国を捨てた人間が今も、エンエンと日本の上層部を牛耳っているのでしょうね。
そろそろ、日本の歴史を直感で読み解きましょう。縄文の以前にも、崇高な文化があったのかもしれませんよ。変革の時代だからこそ、それらが蘇るのかも…。アカデミズムに毒された御用学者は今も昔もいたのでしょう。
★日本語の訓読みの名前(姓名)を子どもに付けましょう!
昨今は、英語の呪縛から逃れられませんが、漢字の呪縛からも日本人は逃れられません。
だから、依って立つものがない。いえ、本当はあるのです、それが日本語の言霊では?
だから、日本人なら、訓読みの姓名で、言霊のパワーをもらいましょう。一音一音に「魂」が宿る日本語の訓読みの名前(姓名)やかな(カナ)の名前(姓名)を大切なお子様に…。
★かな(カナ)の名前(姓名)が増えたのは「魂」の高い人が増えたこと?
名前(姓名)に漢字を付けなくてもいい人は、今世で乗り越えるべきカルマがないということではないでしょうか?
反対に、読めないような難しい漢字の名前(姓名)が多くなったのも、カルマを積む人も増えたということ、でしょうか?
変革の時代、両極端の人が生れてきても、何の不思議でもないのです。「宇宙の仕組み」は、シンプル イズ ベスト!
だからこそ、カナやかなのシンプルな姓名をお子様に付けてあげましょう。そういう意味では、昔の農家の女性の名前はかなやカナが多かったので、魂は高かった、と言えるのでは…。
★第二次世界大戦を見越して、女性に「子」の付く名前が増えた?
昔の中国では、「子」という文字は、男性につける文字だった。特に立派な人や尊敬する人sに付ける文字だったのではないでしょうか? 孔子、老子、孟子等など…。それが日本に入ってきて、身分の高い男性や皇室の高貴な女性にしか付けることを許されなかった時代が長く続いたのです。
それが、戦争に突入するあの昭和の時代には、皇室から解禁となった「子」の字を、無意識的に、一般女性の姓名に付けて、国難を防ぐべく、女性の魂を奮起させる結果に繋がったのではないでしょうか?
世の中に偶然はないのです。強い女性、立派な女性が必要だった時代だからこそ、男性に付けるべき「子」や意識の高い女性に付けるべき「子」が必要だった…。強いと言っても、ヤマトナデシコ的、精神力の強い女性が必要だったのです。耐え忍ぶ芯の強い真の日本女性が…。要するに、国難が近づくと「子」有りの女性の姓名(本名)が増える?
★神戸市は大丈夫? 韓国には「姓」がないからって!
神戸市では、書類に使用されている「姓名」は、韓国にはないから、「姓名」という単語を使うのは差別に当たるとして「名前」に変えろ、と取りざたされているようです。ここ神戸市は韓国の都市ではないのです。多くの日本人が住む日本の都市なのです。文句を言う人は、「日本語」を使用してはいけません。韓国語が通用する場所で、韓国語を使用すればいいのです。宇宙の真理に逆らうと…。
れっきとした、日本のお役所が、なんと軟弱な態度でしょう。そんな弱腰な日本人に役所を任せるのは不安です。反論できる日本人はいないのか? それが問題なのでは? いえいえ、真の日本人はそういうくだらないことに言挙げしないのでしょう。
★最近流行の“キラキラネーム”って知っていますか?
“キラキラネーム”とは、“ゆとり名”や“DQNネーム”とも呼ばれ、平成世代に多い、あり得ない名付けのことを指す、のだそうです。良い意味の漢字ばかり使用して、音訓の「音」で付けるのも含まれるのでしょう。これも、ある意味では、人間の「我」でしょう。
しかし、昔の縄文時代は、名前(姓名)にはあえて動物などの悪い名前を付けたそうですよ。やはり、目立つことを良しとしなかったからではないでしょうか?
私は、名前(姓名)とは、自分に対して付けるのではなく、他人に対して付けるものだと思っています。たとえば、「幸子」なら他人を幸せにする、他人を「幸せ」で満たす姓名。「愛子」なら他人を愛する、他人を「愛」で満たす姓名だと…。
だから、良すぎる姓名は、重いし、かえってそれができなかった場合はその反対の作用が及ぶ、反動が強すぎすぎると…。
★なぜ、「日本」国の呼び方が「ニッポン」と「ニホン」の二つあるの?
私は、日本の不幸は、この日本の呼び方が「二つ」あるというコトに尽きると思っています。
ということは、二つの流れがあるというコト点。源氏と平家、南朝と北朝、上層部と下層部、征服者と被征服者。だから、日本が一つに纏まらないのは、当たり前なのでは?
政治も教育も大事ですが、もっと大事なことは、日本を一つの呼び方に統一することではないでしょうか?
私は、「ニッポン」という呼び方が良いと感じています。なぜなら、「ツ」とは、遍く、津々浦々に行きわたるという意味があり、また、「ホ」よりも「ポ」の丸には、日本の円や丸を表しているので、日本の精神にマッチした意識が表現されていると感じます。