有名人の姓名本質リーディング(7)嵐「松本潤」の本質は?
この(7)「有名人の姓名本質リーディング」は、大阪で、悩みをお名前と潜在意識から読み解く本質と使命とトラウマの「姓名本質リーディング」の姓名リーダー三宅麗子のブログ(投稿頁)です。
★有名人の姓名本質リーディング(7)
◆嵐「松本潤」の本質は?
おはようございます。三宅です。
昨日に引き続き、「嵐」の「松本潤」を姓名リーディングします。
彼は、「嵐」では、「SMAP」の「木村拓哉」的存在ではないでしょうか。
しかし、「木村拓哉」のキャラが最近では、ちょっと食傷気味な分、「松本潤」にも損な影響を与えている感じがします。
整い過ぎるソース顔も、オバカキャラの到来とともに、マイナス要素となっています。
それを乗り切れるかどうかが、今後の彼の試練ともいえるでしょう。
さて、「松本潤」の「松」ですが、【「木+公(つつぬけ)」。葉が細くて、葉の間がすけて通るまつ。】
意味は、【まつ、木の名。常緑針葉樹。広く建築材料などに用いられる。松は常緑であるところから、節操・長寿・繁茂などのたとえにつかう。】とあります。
また、「松」には、一説に、「神がその木に天降ることをマツ(待つ)意とする。」や、また、一説に、「葉が二股に分れるところからマタ(股)の転とする。日本には、長寿や節操を象徴するものとして古来尊ばれる。紋所の名」などとあります。
「松」は、日本では植物の中では、最高に良い木というイメージがあります。
松竹梅ともいわれ、よくランク付けされるときには、「松」が一番上席です。
お正月にも、門松などで、おめでたい象徴となっています。
そういうところから、盆栽などでも「松」は、他の木と違って、別格の感がします。
とにかく、日本人は「木」では、「松」、「花」では、「桜」が一番好きなのではないでしょうか。
「松」は、年中、葉が落ちないで緑色をしている。かたや、「桜」は一瞬で散り去ってしまう。
永遠の生命や末裔まで続く繁栄、或いは、潔さを理想とする生き方等など…。
そういう意味で、人間の生きざまの願望や理想を「松」や「桜」に託したのではないでしょうか。
彼は、そういう「松」の字を「姓」に持っています。
また、「松」の「木」は、「木村拓哉」のところで書きましたので、引用は省きます。
彼、マツジュンは、「木」を二つ持っていますので後で解説します。
「松」の「公」は、【篆文の下部は私の原字で、三方からとり囲んで隠すことを示し、上部の八印はその反対に左右に開くさまを示す。甲骨・金文は「八印(開く)+口」で、入り口を開いて公開すること。個別に細分して隠さずおおっぴらに筒抜けにして見せる意を含む。】
意味は、【おおやけ。みんなにうちあけ、みんなとともにすること。一部にかたよらないさま。個人のことでなく、官に関すること。また、公・侯・伯・子・男の五等爵の第一位。最高の官位。三公のこと。長老を呼ぶことば。転じて、ていねいに相手を呼ぶことば。第三者を尊敬して某公という。人名・動物の名などの下につけて、親しみや軽べつの意をあらわすことば。】とあります。
この「公」は、一般的には、「個人」に対して、反対の「公的」という意味に解釈されます。
この「公」を持つ人は、自分中心になるよりも自分以外のことに熱心になるようにとの意味ではないでしょうか。
「我が、我が」「俺が、俺が」、ではいけないという戒めなのかもしれません。
また、「公」の原字は、二説に分かれています。
一つは、「公」の下を「ム」とする説で、隠すなどの意味も含まれ、個人的なことを意味します。
この「ム」は、「中居正広」でも書きましたので、引用は省きます。
「わたくし」という意味と、農作で使用する「すき」の意味と、「ひじ」を曲げた姿などの意味があります。
「ひじ」を張った自分中心の生き方をしすぎると災いするのではないでしょうか。
もう一つは、「口」にする説で、開かれた入り「口」を意味します。
「口」は、「木村拓哉」で書きましたので、引用は省きます。
芸能人には、プラスに作用しますが、彼の場合は、あまりしゃべらないほうが良いでしょう。
黙っていても、いるだけで存在感があるのですから…。
「公」の「八」は、【左右二つにわけたさまを示す。別・撥(わける、左右にはらう)と同系。また、半や班(二つにわける)の入声(つまり音)に当たることば。】
意味は、【やっつ。や。順番の八番め。やたび。八回。わける。わかれる。数の多いこと。午前二時、または午後二時のこと。江戸時代のことば。】とあります。
「嵐」のグループで、「分裂」しないように、彼は心しなければなりません。
「八」の字源には、もともと良い意味はありませんが、日本の言霊には「いやさか」「すえひろがり」や極限などをイメージしますので、そこから良いイメージの字となったのではないでしょうか。
しかし、悪い意味も多々ありますので、良いイメージを心掛けることです。
次に、「松本」の「本」ですが、【木の根の太い部分に―印や・印をつけて、その部分を示したもので、太い根もとのこと。】
意味は、【もと。ふとい木の根。転じて、物事の中心。はじめ。物事のはじめ。おこりはじめ。もた、もとで。農業のこと。もとの。ほんとうの。それ自体の。自分の。もともと。草木や棒状のもの数えるときのことば。のち、書物を数えることば。書物。】とあります。
他のメンバーに人気が出てきた以上、これから難しくなる可能性も秘めています。
しかし、彼は、やっぱりグループの「要」とならなければなりません。
他の人から離れたり、孤立していてはうまくいきません。
もとの始めは、彼が中心だったのでしょうから。
「嵐」も彼のイメージで付けれらたグループ名のような気がしますが…。
「本」に含まれる「木」は、「松」にも含まれています。
「木」が二つあるということは、「木」の特徴をもろ受けるということです。
良くも悪くも…。
私は、イメージとして、どんな字でも「二つ」持つということは、あまり良いことだとは感じておりません。
かえって、その「字」に押しつぶされるというか、振り回される、翻弄されるというほうが当たっています。
特に、有形の物をあらわす字は、それが顕著に出るようです。
「木」は「気」に通じ、日本人は、「木」をとても大切にしてきました。
「木」の文化といわれるのも、そういうところからきているのでしょう。
「木」を二つも持つということは、彼はどこにいても目立つ存在で、黙っていても、存在感をアピールしているのですね。
だから、あまり出しゃばったりすると、マイナス効果なのです。
また、自信過剰と誤解されて、人から敬遠されやすい。
「木村拓哉」も「木」を二つ持っているので、よく似たキャラと言えるのですが、「木村拓哉」は、「手」も「口」も二つもっているので、木のイメージがかえって薄まるのです。
しかし、「松本潤」は、「木」だけが二つなので、より強調されます。
良い時は良いのですが…。
「松」の「大木」をイメージすると、チョコマカ動き回ることはダメ。
ゆったりと、おおらかに構えていると運が開けます。
ダンスは彼には、マイナスでしょう。
自分がメインで歌うときは、じっと立って歌うほうがいいのでは。
見て楽しませる職業は、決して悪くはないのですから、違うことで人を感動させればいいのですね。
あくせく、自分で要領良く立ち回るのではなく、不安を持たず、じっとしていればいいのです。
自分自身で、根回しや策を弄しては、絶対だめ。
他の人を信用して、全部ゆだねるのです。
また、名の「潤」ですが、【「水+閏」で、じわじわとしみ出て、余分にはみ出る水分のこと。】
意味は、【うるおう。じわじわと水分のしみ出る。うるおいがあるさま。うるおす。じわじわと水分をしみわたらせる。金や物を与えてゆとりをつけてやる。色つやをつけてりっぱにする。うるおい。しめり。色。転じて、元金からしみ出たもうけ。】とあります。
「潤」の「閏」は、【「門+王」で、暦からはみ出た日には、王が門の中にとじこもって政務をとらないことをあらわす。定数からはみ出る。不正規なものの意を含む。】
意味は、【うるう。一年の日数。または月数が、きまった数がらはみ出て平年より多いこと。正統でない天子の位。】とあります。
色々な「字」が含まれているので、様々なイメージが読み取れます。
しかし、「姓」と「名」はアンバランスな感が否めません。
ちょっと、しんどい。
本来は、誰かの、或いは何かの「潤滑油」になるとよし。
しかし、あくまで、「潤滑油」なので、何かを、誰かを「潤」すためなんですね。
自分が何か、「潤」される「本体」になってはいけないのですね。
要するに、「中心」になってはいけないのです。
しかし、姓は「中心」として、どっしりと構えているほうが良いのですね。
「潤」の字そのものは、よい意味ですが、本来は、良いイメージだけではなかったのですね。
「王様」が閉じこもってしまうということは、やるべき仕事を放棄したのでしょうか。
或いは、「王」としての荷が重かったのでしょうか。
うるう年の「閏」なので、「はみ出す」という意味もありますので、「嵐」からはみ出すことも考えられます。
彼にとっては、そろそろそういう意識も湧いてくるのではないでしょうか。
「閏」の「門」は、【左右二まいのとびらを設けたもんの姿を描いたもので、やっと出入りできる程度に、狭くとじているの意を含む。戸は、とびら一枚を描いた字で、門の字の左側の部分に当たる。とじて家の中を守る家のとびら。扉は、両びらきのとびら。】
意味は、【かど。やっと出入りできる程度に、通路を押さえてつくったもん。やっと通れる程度のせまい入り口。転じて、最初の手引き。みうち。家がら。学派や宗派などのなかま。事物の分類上の大きなわく。また、生物の分類上のおおわく。もんを攻める。大砲を数えることば。】とあります。
「門」の「戸」は、【門は二枚とびらのもんを描いた象形文字。戸は、その左半部をとり、一枚とびらの入り口を描いたもので、かってに出入りしないようにふせぐとびら。】
意味は、【と。家やへやの出入り口。また、出入り口にある片開きの一枚とびら。人民の住む家。または、民家を数えることば。家の意から転じて、大人の男の人。】とあります。
「門」があるということは、大きな家にも関係があるのでしょう。
そうすると、その大きな家の大きな庭に大きな「松」の「木」が植わっているのでしょうか。
個人の家ではなく、「公的」な、学校などのイメージがします。
「閏」の「王」は、【「大+―印(天)+―印(地)」で、手足を広げた人が、天と地の間にたつさまを示す。あるいは、下が大きく広がった、おのの形を描いた象形文字ともいう。もと偉大な人の意。】
意味は、【きみ。偉大な統率者。君主。周代までは天下を統率する君主の称号だったふぁ、春秋時代には、呉王夫差。、梁の恵王のように、諸侯も称するようになった。秦・漢の時代には君主を皇帝というのに対して、皇帝の親族をこと。覇(力による統一)に対して、徳によって天下をおさめること。また、そのさま。上流のおかたという意味を含んだ尊称。ひいては、たんなる尊敬。・親愛の意をあらわすことば。実力・権力などがすぐれていて最高位の人。王となる。天皇の子のこと。また、五世(現在は三世)以内の皇族の男子のこと。その方面で、実力のいちばん上の者。将棋の駒の一つ。王将のこと。】とあります。
先のイメージを膨らませると、学校の「校長先生」のようなイメージが…。
学校では校長先生が「王」、それも徳のある…。
学び舎で学ぶ同期の「桜」たちを育て送り出していく…。
高い志しをもった「松」のような「心」で…。
あるいは、偉大な人が狭い門に囲まれ窮屈な思いをしているようなイメージがします。
この「王」は、「徳をもっておさめる」とありますので、彼には、もっともっと、精神的修養をして、大きくならないと「門」から抜け出せないということでしょうか。
彼の良さを完全開花させるには、芸能界以外の他の世界もあるやもしれません。
「王」に含まれる「大」は、「大野智」で書きましたので、引用は省きます。
「大」は「松」と関連しています。
最後に「潤」の左の「サンズイ=水」ですが、この「水」は、彼にとっては、とってもプラスに働く「水」です。
これがあるから、「閏」から「潤」に変わるのですね。
自分の精神にときおり、「水」を与えることがどれほど重要なことか。
それが「松」を生き生きと生かすことにもなります。
自分にとっての「水」とは、何かを探すことから始めるもの一つの方法でしょう。
また、「水」の流れにそって、何かにたどり着くというイメージもしますが、これは実際の体で実行するのではなく、精神でするのです。
なぜなら、「松」はあっちこっちに行ったり、流されたりしませんものね。
「大木」が流されることはないのです。
だから、どんな時も、不安感は絶対だめ。禁物。
自分の人生は、ゆるぎない人生と信じきれるかどうか、でしょうか。
というようなちょっと複雑なリーディングになりましたが、彼の現状は、決して、満足ではないと思います。
今、何をしないといけないかというと、周囲の現象を意識しないで、自分の内面を見つめる旅に出るべきではないでしょうか。
人と比べることをやめ、人のことを気にすることをやめ、自分の心の中をじっと見つめること。
西洋や外国に目や心を奪われず、日本的な、和の中から、答えが見つかるでしょう。
古来からの、精神を鍛えるモノやコトに取り組むのも良いのではないでしょうか。
純日本的な…。
「純」は「潤」に通じる…。
そして、一番大事なことは、自分は本当は何を一番やりたいのかを探究することでしょう。
彼を生かせる環境は、グループでも、彼が一番年長で、中心だけれども、他の人々の頼りとなる、よりどころとなる、大黒柱となる、そんな存在でなければなりません。
本来は、ビジネスでは、経営者として人を育て雇う立場の人かもしれません。
中心だけれども、それぞれの従業員に潤いと安心と安らぎを与えるようなそんな存在。
それが、「松本」も「潤」もバランスよく生かしきる生き方と言えるのではないでしょうか。
そうすれば、自ずから、最後に自分自身の「松」を「潤」すことになるのですね。
ビジネスでなくても、今の、芸能界でもいいのですよ。
自分を慕ってくれる人の相談役や先輩として模範を示すことで、ある程度、良い方向が見えてくるでしょう。
そういう存在になるための、これからは、修業の時期なのでしょう。
自分とは違う対極の人、つまり、目立たない人や大人しい人などの気持ちを汲む訓練を真剣にやりましょう。
そういう人の気持ちを考えることが、ひとまわりもふたまわりも彼を精神的に大きく、深みのある人間にします。
それには「嵐」でも、縁の下の力持ち、或いはどんじりに控えてどっしり構えて、目立たないようにしながらグループのメンバーの要となることです。
ちょっと難しいですが、できないことはないのです。
できないと一瞬でも感じたら、絶対できません。
自分がそう「念」しているのですから、できるはずがないのですね。
でも、彼にはできるのです。
なぜなら、そういう姓名をよしとして、引っ張ってきて、この世に生まれてきたのですから…。
天は、特別な選ばれた人には、大きな試練を与えるものです。
普通の人なら耐えられない試練でも、選ばれた人には耐えれるのですね。
えてして、有名人や芸能人は、選ばれた人が多いのです。
良い意味でも悪い意味でも…。
市井の人間で終わらないのですね。
その本質をしっかり悟って真摯に生きていきましょう。
※注1:このブログ(2010.3.14にアップ)は、削除していたのですが、多くのご要望があったために、今回(2019.2.11)、再度、アップすることにいたしました。ただ、読みやすいように「太字」や「ピンク」にしていますが、本文の内容に関わる部分は、変更しておりません。また、ここでは「漢字」のみの「姓名リーディング」なので、「姓名解読リーディング」や「姓名本質リーディング」ではありません。
※注2:「姓名リーディング」の目的は、本質を知ることです。当てるのではなく問題を解決するために、本人と家族、特に両親もリーディングする必要があります。本人の「姓名リーディング」だけでは、完全ではないことをおことわりしておきます。また、極力、批判、非難にならないように気を付けておりますが、もしそういう風にお感じになれば、私の稚拙な文章のせいだとお考えいただければ幸甚に存じます。敬称は略。
※注3:ピンク色の部分は引用です。引用資料:「漢字源」学研・「広辞苑」岩波書店等々。