有名人の姓名本質リーディング(27)「尾畠春夫」さんの人生は実践での生きた「神ながらの道」!
この(27)「有名人の姓名本質リーディング」は、大阪で悩みをお名前と潜在意識から読み解く本質と使命とトラウマの「姓名本質リーディング」の姓名リーダー三宅麗子のブログ(投稿頁)です。
★有名人の姓名本質リーディング(27)
◆「尾畠春夫」さんの人生は実践での生きた「神ながらの道」!
今回は、ボランティアのプロ中のプロである「尾畠春夫」さんを姓名解読リーディングをさせて頂きます。
彼は、一言で言えば、「無私の人」。その生き様は、現在に生きる縄文人であり、超人であり、仙人であり、忍者であり、武士道を貫く、人生の達人でありましょう。最後の誇りある日本人なのかもしれません。
「尾畠春夫」さんの人となりは、ここで私が述べなくても、皆さんのほうがよくご存知なので、ここではいきなりリーディングに入りたいと思います。あまりご存知ない方は、どうかネットで検索してください。もうスゴ過ぎて、感動してしまいます…。(一部敬称略)
さて、【神名解読(図象符)】では、「尾畠春夫」さんの①「ヲハタハルヲ」の「図象符」も、②「オハタハルオ」の「図象符」も、どちらも「神名」は全く無し。という意味は、「尾畠」さんの魂は、先祖様に繋がる「血統」と縁が強く、きっと先祖の守護霊がたくさんたくさん付いていて、彼を守っているのでしょうね。両親、特に、父親との縁が薄い人は、その背後に控える父方の先祖様の守護霊に力を貰っている方が多いのですね。「尾畠」さんも例にもれず、窮地に陥るトキは常に神憑り的力を発揮します。そういう「尾畠」さんだからこそ、両親から早く別れてくらしても、「魂」はきっちり繋がっていたのでしょうね。
また、①「ヲハタハルヲ」も②「オハタハルオ」の「図象符」も、国津神(地からのエネルギー)は入るのですが、天津神(天からのエネルギー)は入りにくいため、今ある人生は、彼の努力の賜物でしょう。生まれもった才能や境遇は決して最高とは言えず、どちらかと言うと不幸を背負ってきたという方が当たっているでしょう。①のほうが、一般人としてサラリーマン的、会社員として生きやすく、エネルギーは②「オハタハルオ」のほうが強いので、一般的な会社員として生きるよりも、根っからの自由人間は②「オハタハルオ」のほうでしょう。自由業など、縛られない環境で生きると力を発揮します。だから、①「ヲハタハルヲ」よりも②「オハタハルオ」のほうが、地位や名声や肩書などよりも、心地よい環境で自由に生きたいという意識が強いでしょう。
要するに、現在使用している②「オハタハルオ」の「図象符」は、より行動的、生活的で、より心広く、精神的な面を重要視する意識が強いでしょう。言葉を変えれば、①「ヲハタハルヲ」の「図象符」は「臍の緒」に繋がる意識が強く、②「オハタハルオ」は「魂の緒(たまのお)」に繋がる意識が強いというか…。また、「濁点」は太古の時代にはなかったので、その「バ」が「名」にあるのは、より現実的、より具現化しやすい、よりその音が強調されるという意味になりますので、②「オハタハルオ」では「ハ」が三つもあることになりますね。より「オ」で考え深くなりますが、現実的に生きるのが彼にとっては、より生きやすいということでしょう。モノゴトを深く考え過ぎると反ってマイナスになる傾向が②「オハタハルオ」のほうは強いので、だから、思考よりも行動に重きを置きたくなるのでしょうか…。
次に、【言霊解読(一音多義)】では、①「ヲハタハルヲ」の今世の「魂」は、この六文字ですが、この六文字の「言霊」に、それが現実の「肉体」に閉じ込められています。その中で一番重要な字は「ハ」です。この「ハ」は、二つあり、それが強力に働きますので、生命力が強く、バランス感覚に優れ、それでいて、清濁併せもち、どちらへも引き合いますが、目立つ行い、目立つ心は、彼には凶となるでしょう
また①「ヲハタハルヲ」では、職業を表す「ヲ」も二つあり、尾であり男であり、混沌を収める思念であり、奥というイメージの音でもあり、やはり、目だってはいけない人なのかもしれません。要するに、華やかな世界よりも、ひっそりとした中にもなくてはならない存在として生きる人でしょうか。会社勤めよりも自由人や商売人のほうが、彼にとっては向いていた。派手ではなく地味だけれども、いなくなってから有難味がわかる人というイメージかも。
②「オハタハルオ」では、職業を表す「オ」がやはり二つあり、①「ヲハタハルヲ」よりも、大き過ぎて、より隠れた力のイメージがしますので、こちらのほうが年をとってから報われる、大器晩成型かもしれませんね。
さらに、【言霊解説(図象符)】の①「ヲハタハルヲ」では、「言霊(精神)」では、「姓」は「中・火」、「名」は「女・中」、「姓名」は「女・火」。「図象符(肉体)」では、「姓」は「男・水」、名「名」は「女・火」、「姓名」は「中・中」。②「オハタハルオ」では、「言霊(精神)」では、「姓」は「男・火」、「名」は「男・水」、「姓名」は「女・水」。「図象符(肉体)」では、「姓」は「男・水」、「名」は「女・火」、「姓名」は「男・水」。ここでは水は男性、火は女性を表します。
①「ヲハタハルヲ」よりも②「オハタハルオ」のほうが、どちからといえば男性的なので、生きる上においては、②「オハタハルオ」の意識で生きているのでしょうね。しかし、いずれも、精神的にも肉体的にも、秘めたるモノは、女性のようにナイーブで、繊細でしょう。年とともに、お爺さんというよりもお婆さん的な雰囲気が前に出ると彼の持っている慈愛や優しさを周囲の人が感じるでしょう。しかし、事に当たれば、男性的な、面が前に出て、頼もしくも感じるでしょう。
【姓名解読(字源)】では、「尾畠春夫」さんの姓の「尾」は、「「尸(しり)+毛」でしりにはえた毛のこと。」で、
意味は、「お。動物のしっぽ。細長い物の末端。しり。雄雌が交尾する。つるむ。二十八宿の一つ。基準星は今のさそり座にふくまれる。あしたれ。」とあります。
この「尾」は、「尾畠」さんにとっては生きるバランスや、センサーの役目をしているようです。それは、時には、動物的「勘」に匹敵するほどの威力を発揮します。動物的感覚の鋭い生き方がお好きなのは「尾」からきています。また「尾」がある人は、ジッとして一ヵ所に定住して農業をするタイプの人生ではないのでしょう。
「尾」の「尸」は、「人間がからだを硬直させて横たわった姿を描いたもの。屍の原字。」で、
意味は、「しかばね。人間の死体。ぴんと硬直して伸びた人体。かたしろ。古代の祭りで神霊の寄る所と考えられた祭主。孫などの子どもをこれに当て、その前に供物を供えてまつった、のち肖像や人形でこれにかえるようになった。死体のように硬直して横たわる。死人のように動かない。」とあります。
「尸」が、「屍」を意味するのであれば、彼は、常に「死」を意識して生きている人かも。いえ、顕在意識ではなく、潜在意識として、いう意味ですが…。生きている間は、その体をフルに活動したいための生きるスベなのでは? あるいは、彼にとっては、寝るや休むは「死」を意味するので、極力、動いて(ボランティアして)生きている証しを謳歌したいのでは? さらに、古代人の神霊の寄り所や祭主とあるので、やっぱり縄文人の呪術師だったかも…。
「尾」の「毛」は、「細いけを描いたもの。」で、
意味は、「け。生物の表皮にはえる細いけ。髪のけ。地表に草木・作物が生える。また地表に生える木先・作物。ない。細くて多いもののたとえ。粗製で弱い。目方・長さ・貨幣などの単位。その耕作地で一年間に栽培する作物の種類を数えることば。」とあります。
「毛」は、作物や貨幣などにも関係するとなれば、喰いぶちにはあまり心配しないで、自分で手に入れる方法を生まれながらに知った人。あまり金銭的な部分では、心配のない人生なのかも。「尾畠」さんの生き方はまさに、「足るを知る人生」かも…。
「姓」の「畠」は、「「白+田」で、水田に対して、水気の少ない白く渇いた農耕地をいう。」で、
意味は、「はた。はたけ。水をはっていない耕地。」とあります。
この「畠」は、水田ではないので、稲ではなく、野菜など、余りお金には縁がないというか、執着がない人生かも。彼にとっては一生を農業で暮らす人ではない?
「畠」の「白」は、「どんぐり状の実を描いたもので、下の部分は実の台座、上半は、その実。柏科の木の実のしろい中みを示す。」で、
意味は、「しろ。しろい。しらむ。色がしろくなく。明るくなる。しろくする。けがれのないさま。また、無色であるさま。あきらか。物事がはっきりしているさま。無色の意から転じて、なにもないさま。むなしい。また、飾りや不可物がないさま。特別の身分がないさま。収穫や負担がないさま。いたずらに。むだに。飾りがないさま。また、生地のままでやさしいさま。転じて、芝居のせりふ。もうす。内容をはっきり外に出して話す。また、上の人に真実をもうしのべる。とっくり。さかずきなどの酒器。」とあります。
「白」は、けがれのないさまや、なにもないさまや、飾りがないさまや、特別の身分がないさまや、上の人に真実をもうしのべるをなどをがあるので、潔癖すぎて、会社員などには向かない人でしょう。
「畠」の「田」は、「四角に区切った耕地を描いたもの。平らに伸びる意を含む。」で、
意味は、「平らに耕した土地。平地。日本では水田を田といい、水をはらないのを畑という。狩りをする。田畑のように何かをうむ所。」とあります。
「田」は、平らや四角など平等をイメージしますので、まさに彼の生き様は、田に力で「男」のイメージです。しかし、「田」は、水田を意味するので、姓の「畠」とは、相反する字なので、やはり農業には従事しにくい人だったかも。姓の先に「尾」があるので、ご自分が動き回るか、あるいは、動くモノ(魚)を相手に仕事するほうが、「姓」からは正解だった。
「名」の「春」は、「屯は生気が中にこもって、芽がおい出るさま。春はもと「艸+日+屯」で、地中に陽気がこもり、草木がはえ出る季節を示す。ずっしり重く、中に力がこもるを含む。」で、
意味は、「はる。四季の第一。立春から立夏までの間。陰暦の一月・二月・三月の季節。陽暦の三月から五月はじめ。陽気が地中にうごめいて、外に出てくるころ。若くて元気な時期。若さや精力。男女の慕い合う心。男女の情欲。エロス。」とあります。
「春」の「艸」は、「日本の草の芽が並んで生えているさまを描いたもの。雑然と生える草。漢字の構成部分としては、くさかんむりと呼ぶ。植物(特に草花)に関する字につく。」で、
意味は、「草と同じ。」とあります。
「艸」が三つもあるなんて、きっと、彼は雑草のこどく生きる人なのでしょう。踏まれても踏まれても、へこたれない不屈の人生を送る人…。学歴や学校教育なんぞは、彼にとっては生きる足かせにしかならないのです。人生の道が、彼にとっては、偉大なる実践であり教えなのでしょう。活きる本物の「神ながらの道」を歩く人かも。教師も教授も医者も神主も宮司も、天皇すら、彼に教えを乞うべきかも…。
「春」の「日」は、「太陽の姿を描いたもの。身近にねっとりとなごんで暖かさを与える意を含む。」で、
意味は、「ひ。太陽。太陽の出ている間。昼間。か。日数をかぞえることば。ひび。ひに。一日一日と。広く、時期・ころ。日本の略。にち。七曜日のひとつ、日曜日の略。」とあります。
「日」は、日本人ならば、説明するまでも無しでしょう。
「春」の「屯」は、「「一+草の芽」または「草の芽+・印」で、ずっしりと生気をこめて地上に芽を出そうとして、出悩むさま。一印は地面を、・印はこもる意を示す。」で、
意味は、「下につかえて出きらない、行き悩む。周易の六十四卦の一つ。下に陽気がこもって出悩む意を含む。たむろする。ずっしりとむらがる。集まる。また、兵を集めてとどまる。人が集まった村落。」とあります。
「屯」は、下につかえて出きらないとありますので、彼は天真爛漫に見えても、やはりツライ人生を送られた結果、実践から勝ち取っての「今」があるのでしょうね。ホント、頭が下がります。
「屯」の「一」は、「一本の横線で、ひとつを示す。ひとつの意のほか、全部をひとまとめにする、いっぱいに詰めるなどの意を含む。壱の原字壹は、壺にいっぱい詰めて口をくびったさま。」
意味は、「ひとつ。ひと。順番の一番め。ひとつにする。ひとつとなる。…じゅうすべて。…のすみからすみまで。同じであるさま。同じくする。一致させる。ひとつのもの。また、同じものとして扱う。いっしょくたにする。もっぱら。ひたすら。なんと。ひとたび。一回。一度。もしいちどでも…したら。しこし。ちょっと。わずかに。あるひとるの。また、あるひとりの。…したり…したり。」とあります。
「一」を持っていますが、、彼には「一番」という意味よりも、一念発起や、一徹、一心不乱など、信念を表すコトバが思い描けます。
「屯」の「草」は、「「艸+早」。原義はくぬぎ。または、はんのきの実であるが、のち、原義は皁の字であらわし、草の字を古くから艸の字に当てて代用する。」で、
意味は、「くさ。草木植物の総称。どこでも生えている雑草。ぞんざいなさま。まにあわせの。上等でない。くさ深いいなか。また、官に仕えず、民間にいることのたとえ。ざっとした下書き。書体の一種。漢代に始まる。」とあります。
「草」は、官に仕えず民間にいるとあります。また、決して、高級な「植物」では無く、どこにでも生えている雑草をイメージします。彼のイメージそのままです。
「草」の「早」は、「くぬぎや、はんの木の実を描いたもの。皁とも書き、その外皮は黒い塗料に用いる。黒い意より転じて、朝の暗いときをさす。」で、
意味は、「はやい。朝まだはやくて薄暗い。また、転じて、時刻がはやい。はやくも。ととに。はやく。その物事に先だってはやくから。とっくに。小さい、若いの意をあらわす接頭辞。」とあります。
「早」も、若いを表しますので、少年のような尾畠さんの笑顔がピッタリですね。いつまでも年をとらず、年齢を感じさせないのはこの「早」からでしょうね。
「屯」の「芽」は、「「艸+牙(ちぐはぐにかみあう)」。ふた葉がかみあっている植物のめ。うまくゆけばやがて発展する状態・ものにたとえることもある。」で、
意味は、「め。草木のめ。きざし。物事のおこり。物事のはじめ。めばえ。めぐむ。きざす。めを出す。また、めが出はじめる。」とあります。
「芽」には、うまくゆけばやがて発展する状態や、きざしや、「芽」が出はじめるなどがありますので、これから尾畠さんの本当の人生が始まるのでしょうね。それを成功させるのも私たち日本人の意識かも…。
「芽」の「牙」は、「牙の金文は×型にかみあわせたさまを描いたもので、きめこみ細工の原字。転じて、ちぐはぐにかみあう歯のこと。」で、
意味は、「きば。上と下とがちぐはぐにかみあう犬歯。糸切り歯。また、展示で、犬歯から後にある奥歯のこと。象げでこしらえたもの。また、象げ製である。かみ合う部分。商売の仲介。売り手と買い手にかみ合わせることから。」とあります。
「牙」は、商売の仲介とありますので、商売的センスもばっちりなのでしょう。根っからの商売人で、決して会社員にはなれない、いえ、なりたくない人だった。ああ見えても、自分の思う通りの人生を歩む頑固な人なのでしょうね。また、彼に背くと、「牙」をむかれそうで、ちょっと怖い。心底、怒ったら怖い人かも…。
「屯」の「・」は、「(てん・ちょぼ・ちゅ)灯火のじっととどまって燃える姿を描いたもの。炷(ともしび)の原字。主の字の上部に含まれる。」とあります。
「・」があるので、終わりも良し良しの人生で、動かなくなったときが、彼の火が消える時かも…。
この名の「春」が秘める「字」は、上記のように、とたくさんあり、結構、精力絶倫で、もしもボランティアに従事しなかったならば、名うてのドンファンや助平爺(?)になっていたかも。それほど、エネルギーは人一倍旺盛で、疲れをしらない万年青年でしょうね。だから、今の生き方は彼にとっては無理をしているのでもなく、自然な生き方なのでしょうね。一年中、「春」の季節なんて、ちょっと羨ましい限りでしょうが、この名の「春」は、「姓」の「尾」とはちょっと合いにくいようです。
「名」の「夫」は、「大の字になった人の頭に、まげ、または冠のしるしをつけた姿を描いたもので、成年に達したおとこをあらわす。」で、
意味は、「おとこ。成年に達したおとこ。おっと。配偶者であるおとこ。それ。新しい話題を出すことを知らせるため、文頭につけることば。かの。物事をさすときのことば。か、かな、文末につけて、推定や感嘆の語気を示すことば。」とあります。
この「夫」が最後の「ヲ」であり、冠をつけた成人を表すので、雑草のごとく自由きままに生きているようでいて、きっちり筋を通すスベはお持ちです。これがあるから、信用されるのでしょうね。
まあ、とにかく、「春」の字で、いろんな面をお持ちの「尾畠」さんではありますね。それだけ、生命エネルギーは豊富なのでしょうね。彼の生き方に憧れて、同じように行動しても、きっとついていけないしょう。それほど、「尾畠」さんは、超人的なエネルギーの持主なのですから…。
【数霊(ラッキーナンバー)】の①「ヲハタハルヲ」も②「オハタハルオ」も、「2」のみ。この「2」は、女性的ですが、増えるという意味がありますので、一人で行動するのはツライので、より人との交わりを大切にするボランティアを選ばれたのでしょうか。独立ではありますが、独歩で生きるのは、ちょっとしんどい。だから、「組織」と言っても、いずれ別れるトキがくる、ゆるい「絆」の被災地救助が彼にとってはピッタリくるのでは?
8月12日に行方不明になった2歳男児を15日に30分ほどで発見された「尾畠」さんのエネルギーは、やはりラッキーナンバーの「2」が影響していたのでしょうか?
【エネルギー解読】では、「尾畠春夫」は、生まれた日は、女性性エネルギーが強い日で、全体の誕生年月日は男性性性のエネルギーが強い。今年10/11までは女性性の強いエネルギー。年齢は78才なので、今年10月11日までは、女性性の強いエネルギーといっても「8」に陰陽どちらにも強い数字なので、これも運は、彼に味方したのでは?
【チャクラ・オーラ解読】の①「ヲハタハルヲ」も②「オハタハルオ」も「弱点」は、【水(臍)…惰性。抑圧】と【風(心臓)…虚偽】。なので、惰性や抑圧や虚偽には、極力、そういう状況にならないように気をつけることが必要でしょう。それはまた、丹田と心臓が弱いので、彼はそれを理解しているために、今の訓練があるのでしょうか。
「音」からの【音霊解読(ヒビキ)】での他人に与える「ヒビキ」の印象は、「おばたはるお」は、情緒的には、若干不安定感がありますが、しかし人一倍大胆で冒険的で持久力もあり、ちょっとがさつな面も新しさを求める気持ちが強いとそれも気になりません。血液はO型イメージで、春に強く、本来は、色は黄緑でシックさがでればなお良しで、営業面でもセンスが発揮される人ではあります。
【心理学的診断】では、「おばたはるお」は、ユング的には、外界には無関心で、非現実的・主観的な芸術家、夢想家ながら、自分の内界の価値にこだわりすぎるきらいもあるでしょう。生き方や価値観は、経済的価値や肉体的快楽に左右されず、俗世間を超えた宗教的な高みに価値をおくために、周囲との摩擦も生じやすい。気質は親切で温和、ユーモアもあるが、時折、気分が不安定気味にならないように。肉体的な享楽に弱く、それを逸らすために何かをしがち。社会的な権威にも弱く、伝統的な慣習に服従するタイプなので、極力それらから離れようとする。本来は、高齢者になればなるほど、依存するタイプなので、そうならないために、今の人生の生き方をご自分に強いているのかも。「エニアグラム」では、理想的な、平和主義者/調停者で、若い時は、自己主張が弱く、周りに合わせすぎることがあったでしょうが、今は、マイペースで控えめ、思いやりのあるタイプで、人からも好かれるのは、生まれもった性格と、さらにそれ以上の上を目指す上昇思考が、尾畠さんの心情なのでしょうね。
いかがでしょうか?
「尾畠春夫」さんの特徴は、ご自分の長所も短所もよくご存知で、短所は無くすように、長所は伸ばすように、それも無意識でもやっておられるようで、直感的にも鋭く、という意味は、動物的勘にも長けていて、結果的に、それが、直感的にも鋭く、という意味は、動物的勘にも長けていて、やはり人間ワザではなく、人は、神ワザと感じるのかもしれません。
結果的に、「尾畠」さんが学校の義務教育も満足に受けられなかったことが、かえって、実社会では、彼の「長所」を伸ばし、「短所」を無くすような実践となったのでしょうね。これはホントの生きた教育であり、神ながらの道で、日本人が目指す道かもしれません。こういう人にこそ、「国民栄誉賞」を…。
「彼はきっと断る」などと反対する人がいますが、物や金に執着しない人だからこそ、モノではない「栄誉」を捧げないと一体、彼になにで、私たち日本人は、報いるのでしょうか…。解せませんが…。
今年、「尾畠」さんは78才で、この「8(ヤ)」で、今までの人生に脚光が浴びて、ますます弥栄(イヤサカ)で、これからも、「9 10(コト)」で、「コトを成す」。そして、「3 9 10(ミゴト)」に成就、実現する…。
それを実現させるのは、国民栄誉賞で、もう、間近?
今までの人生を考えれば、私は国民栄誉賞以上の栄誉ある賞を捧げて、国民全員で、「尾畠春夫」さんを祝福したいと思います。それほど、彼は偉大なのですから…。
この人に賞を捧げないならば、これからは、一体、誰に?
どうか、安倍首相、お願いしますよ。
三宅麗子の「魂」が浄化できますように…。
「尾畠春夫」さんの「魂」に、感謝!
ありがとうございました。
※注)この「姓名本質リーディング」は不完全ですので、正式な「姓名本質リーディング」ではないことをお断りさせて頂きます。「カウンセリング」ではご本人の「潜在意識」は、他の様々な直観イメージ技法や「姓名言霊カード」で行っております。
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