有名人の姓名本質リーディング(20)「貴乃花」の神名は宇宙の中心神アメノミナカヌシだった…。
この(20)「有名人の姓名本質リーディング」は、大阪で悩みをお名前と潜在意識から読み解く本質と使命とトラウマの「姓名本質リーディング」の姓名リーダー三宅麗子のブログ(投稿頁)です。
★有名人の姓名本質リーディング(20)
◆「貴乃花」の神名は宇宙の中心神アメノミナカヌシだった…。
今回の横綱日馬富士と貴の岩の「騒動」の疑問を、別の「潜在意識のカウンセリング」のブログで、書かせていただきましたが、それを念頭に入れて、この「貴乃花親方」の「姓名解読リーディング」をお読みいだだければ有り難いです。(一部敬称略)
さて、「貴乃花親方」の「名前」は、角界での①「貴乃花光司(タカノハナコウシ)」と、本名である戸籍上の②「花田光司(ハナタコウシ)」と、さらに普段は、通名③「貴乃花親方(タカノハナオヤカタ)」と呼ばれていますので、これら3つの名前をリーディングしたいと思います。また、昔昔の「言霊」は、濁音がなかったようなので、「コウジ」ではなく「コウシ」でやります。
では、【神名解読(図象符)】の①「タカノハナコウシ」の「図象符」の「神名」は、ナント、宇宙の中心神である、天之御中主神(アメノミナカヌシ)【造化三神】だったのです。これは、もうスゴイ! 他にも38柱も神名がありますので、数々の言動はここから来ているのでしょうか? この宇宙の中心神の「神名」を持つ人は、良くも悪くも、この現世では、人間的欲望に溺れると、マイナスに作用して、人間的な幸せには恵まれないような感じがいたします。というか、人間的幸せを追求するために、この世に生まれてきた「魂」ではないようです。さらに、「神名」に反して、地位や環境には恵まれず、底辺からの苛酷な立場で這い上がる運命の人も多いようです。という意味は、自分の力を過信しすぎ、他の自分より上の存在を無視し、あるいは踏み台にしてのし上がって行きがちですが、それは決して正解ではないようです。もしも、男性ならば長男であればプラスに作用しますが、それ以外では親兄弟に背きがちとなりましょう。また、「神名」の多いのは、何回も生まれ変わってきて、古い魂かもしれません。建御雷神(タケミカヅチ)【天】や、八雷神(ヤハシラノイカヅチ)【天】や、日本武尊(ヤマトタケル)【天孫】などが目につきます。だから、周囲も扱いにくく、ともすれば、自分自身も手に負えないほどの「運命」に振り回されることもあるやも…。
次の「戸籍」上の②「ハナタコウシ」の「神名」は18柱で、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジ)【別天神】があります。さらに、天津神では速秋津日子神(ハヤアキツヒコ)【天】や、八十禍津日神(ヤソマガツヒ)【天】や、底津綿津見神(ソコツワタツミ)【天】など男神があります。さらに天孫では、彦火火出見尊(ヒコホホデミ)【天孫】日本の初代天皇で皇統の祖の神武天皇や、天津日高日子穂穂手見命(アマツヒコヒコホホデミ)【天孫】があります。神武天皇が初代の日本の天皇なので、彼も、新しい相撲の世界を作りたいエネルギーが人一倍強いのは、これらの「神名」が影響いしているのかも…。
しかし、日常の呼び名である③「タカノハナオヤカタ」には、「神名」が全くありません。これが災いして、③「貴乃花親方」は、貴乃花部屋を大きくする、いえ、優秀な弟子を育てるコトには不向きなのかも…、よく「名選手は名監督には非ず」といわれる如く、余りに天才過ぎて、凡人の弟子たちはついていけないのでは? それを貴の岩が弟子として大成したのは、はやり、貴の岩の精神力も尋常ではないからなのでは? ということは、貴の岩は他の部屋の横綱たちには押さえずらい力士だったのでは?
③「貴乃花親方」は、普段の呼び名では「神名」がないために、神の加護を受けられないので、常日頃は、思い通りにいかないことが多く、悶々とされる日もあるのでしょうか? その鬱積が、何かコトが起こると、必要以上に、「策士策に溺れる」が如くに、知らず知らずにコトを起こしてしまわれるのでしょうか? そんな尋常でないトキには、日頃眠っていた他の神名たちが騒ぐのでしょうか? 何はともあれ、自分の魂とは別の魂が、イザ、というときに、動き出すのでしょうか? 「アメノミナカヌシ」が付いていたら、誰だって、動きたくなるでしょうね~。たとえ、角界が束になってかかってきても、いえ、束になってかかってくればくるほど、燃えるというか、戦うというか…。今回の騒動も、ナンカ、人間の考えではないような、人智の及ばない異常な雰囲気が、「貴乃花親方」には感じられてなりませんが…。考えすぎでしょうか…。
さらに、「神名」が多いという意味は、「血統」である先祖の繋がりよりも、「霊統」のほうが強いので、③「貴乃花親方」にとっては、兄弟や両親や先祖などは煩わしい存在なのでしょう。しかし、呼び名である、③「タカノハナオヤカタ」が、貴乃花部屋を大きくするのか、あるいは、名親方といわれる存在になるには、「血統」である、先祖の「魂」を大切にして、家族の絆をもう一度、しっかりと築き、母や兄や、他のOBの力士たちに耳を貸すことが一番必要なコトではないでしょうか? そして、こういう人には頼るべきは、伴侶だけですが、これがまたちょっと厄介でして…。その伴侶は、自分のことよりも③「貴乃花親方」を第一に考える人でないと、ちょっと…。芸能人や有名人よりも普通一般の人が望ましいのですが…。彼の人生での苦境は、そういう伴侶ではないというコトに、現在の彼の苦しい現状があるのでは?
三つのお名前の「神名」が多くあり過ぎる、また、無さすぎるなど、極端から極端なので、ちょっと心配です。日頃、呼ばれている③「タカノハナオヤカタ」が「神名」が全く無しというコトは、親方としては、あまり部屋は大きくできないかもしれません。というよりも、貴乃花部屋には良い力士は育たないかもしれません。それを回避するためには、もっと先祖様や親戚や両親や兄弟を大切にするべきでしょう。それは妻の役目でもありますが…。
だからこそ、①「貴乃花」ご本人は、角界に名を残すためには、厳しい「親方」ではなく、他の役職や肩書に強い憧れがあるのでしょうが、それも、やはり、「親方」としてやるべきことをやってからでないと、益々、周囲は反発するでしょうね。③「貴乃花親方」にとっては、何か事件や騒動が起こったほうが、少しでも目標(野望)が達成できると思っているのでしょうから、今回の騒動も彼にとっては、「吉」とふんだから? でも、この世は神様の世界ではなく、やっぱり人間社会なので、③「貴乃花親方」の思う通りには、中々…。人と人との絆や繋がりを無視しては、成功や成就はママならないのでは?
「図象符」の①「タカノハナコウシ」も②「ハナタコウシ」も、天からも地からもエネルギーはきっちり入っているのですが、③「タカノハナオヤカタ」は天からのエネルギーは全く入らないのです。というコトは、①や②は伊勢の神様や出雲の神様とは縁があるのですが、③は伊勢の神様とは縁がないということになります。地球的エネルギーでは、一部屋の「親方」にはなれますが、大相撲の角界を背負うほどの「理事長」などには、宇宙的エネルギーが必要なために、ちょっと厳しい感じがいたします。折角、「アメノミナカヌシ」が付いているのだから、もっと、相手を立てて、柔軟な姿勢で、謙虚になれば、きっとエネルギーもス~ッと降りてくるのでは、と残念でなりません。本来、彼には、人間の敵などいないのです。誰も彼の敵にはなれません。だから、束になってかかってくるのです。もう、そろそろ、敵は「己自身」というコトに気づかないと…。
次に、【言霊解読(一音多義)】では、①「タカノハナコウシ」も②「ハナタコウシ」も、「コ」が一番重要ですが、姓の「タ」も「ハ」もすべて「職業」に絡んでくるので、「コ」の次に大切なのです。「コ」の意味は「高い次元。超越。超える。繰り返す。小さい。九。転げ出る。転がり入(出)る。完全数の八・極限(ヤ)を超(コ)えて転(コロ)がって、次元が高められる思念(ココノツ)。完成へと向かう。強く固まる。凝固。凝集。凝る。凍る。混む。込める。落ち着く。個々の存在。心。細分する。」です。
この「コ」からは、とても崇高なイメージがいたします。彼の精神は普通の人間が考えるよりも、余りにも理想に走りがちなために、彼の法則では「正」でも、他の人には、ともすれば、「異常」とも見える程、極端で、人間味に欠けるきらいがあるので、決して、人からの共感は得にくく、それがまた、彼にとっては「共感」など必要ないとタカをくくり、人におもねることも「悪」と捉えてしまうのでは? しかし「コ」はあくまで「コ」であって、「ト」の成就には、何かが足りないのです…。それは何か?
「タ」の意味は「独立体。独立的に離れたもの。分離独立。手の指。分かれる。ものがもとから分けられて、独立的になる。表に立って出ていく。立てわけ。立ち上がる。田。平ら。魂。民。高く現われ。現れ立つ。建く。高い。高く生長。」です。
①「タカノハナ」の「タ」は、とっても彼にとっては意味深で、「独立」ってありますが、何からの、誰からの、独立なのでしょうね。父親から、母親から、あるいは相撲の考え方が真っ向から違う「兄」からの独立なのか? なぜ、彼が「弟」で、元若乃花の花田勝氏が「兄」なのか? これも偶然ではないような…。「貴乃花親方」にとっては、人を敬うコト、慈しむコト、要するに他人を重んばかるコトが課せられているような、今世の人生では?
②「ハナタ」の「ハ」の意味は「発生。対向した正反のもの。映える。正・反のものがバランスよくつながっている状態。正・反のどちらへも行く。引き合う。発生充実。広々と広がる。開け出る。表面に出ていくもの。外にほとばしり出る様子。出ているもの。八方分ける。展開。広まる。展開。歯。葉。刃。端。晴れる。張る。自ら育み成り出づる身。孕む。春。生命の元。羽。始。」です。
この「ハ」にも大きな意味があります。正反にバランスよく繋がっていないとダメなのです。離反してしまっては決してモノゴトがうまく回らない…。しかし、現在の貴乃花親方の存在は、悪い意味の「ハ」が出てしまっているように感じますが…。葉っぱは常に「茎」や「枝」とつながっており、一枚のみハラリと落ちてしまっては、枯れるばかりでしょう。
③「タカノハナオヤカタ」では、「タ」と「オ」が重要です。「オ」の意味は「大きい。環境。隠れた立体。目に見えない存在。立方体。六方にひろがる大きな環境のチカラ。奥深く。偉大、重要。奥。和合、融合、結合。緊迫と凝縮。進展の兆し。霊威。生命発生の元根。魂の緒(たまのお)。祖。」です。
この「オ」は、「魂の緒(たまのお)」であり、「祖」とありますので、先祖の加護を頂かないかぎり、「親方」として順風満帆ではないという意味になりますので、ちょっとびっくり! 彼の父親の貴ノ花利氏も草葉の蔭ではきっと、心配されていることでしょうね。
さらに、【言霊解説(図象符)】の①「タカノハナコウシ」では、「言霊(精神)」では、「姓」は「男・火」、「名」は「男・水」、「姓名」は「男・火」。「図象符(肉体)」では、「姓」は「男・水」、「名」は「男・水」、「姓名」は「男・水」。②「ハナタコウシ」は、「言霊(精神)」では、「姓」は「男・火」、「名」は「男・水」、「姓名」は「男・火」。「図象符(肉体)」では、「姓」は「男・水」、「名」は「男・水」、「姓名」は「男・水」。③「タカノハナオヤカタ」は、「言霊(精神)」では、「姓」は「男・火」、「名」は「女・火」、「姓名」は「男・火」。「図象符(肉体)」では、「姓」は「男・水」、「名」は「女・火」、「姓名」は「男・水」。ここでは水は男性、火は女性を表します。
これで見る限りは「姓」の「タカノハナ」も「ハナタ」も、精神的には若干女性性寄りの意識が強く、名の「コウシ」は、男性性が強いでしょう。しかし、心配なのは、「オヤカタ」が、精神的にも肉体的にも女性性が強いために、ともすれば、「親方」という名が付くと、ほとんどの親方衆は、女性的になり、悪いコトが起これば、女々しく、女の腐ったような考え方に陥りやすいというコトでもあります。だから、相撲協会の団体は、一向に、清廉潔白な団体にはならず、嫉妬やヤッカミや足の引っ張り合いが蠢く世界と化すのでしょうか? 男の嫉妬は女の嫉妬よりも凄まじく手に負えないと申しますゆえ…。だから、今回も「親方衆」に任さずに、貴乃花親方は部外の警察に委ねたのでしょうか? とすれば、この行為は神ワザなのか?
【姓名解読(字源)】では、①「貴乃花光司」の「貴」は、「「臾(両手で荷物を持つさま)+貝(品物)」で、大きく目だった財貨。魁(目だって大きい)・偉(目だって大きい)などと同系。
意味は、たっとい。とうとい。目だって大きい。値うちや位が高くすぐれている。また、値うちのある物や身分の高い人。たっとぶ。とうとぶ。価値のあるものとして、たいせつにする。うやまう。相手の側にあるものにつけて、相手に対して敬意をあらわすこごば。」です。
この「貴」には、「とうとい」という意味がありますが、それは自分のことではなく、「相手に対して敬意をあらわすことば」とありますので、正に、「貴乃花親方」はこの修行をするために、今世は相撲取りとなったのでは? なぜならば、お名前というものは、自分のためにあるのではなく、人のためにあるのだから…。愛子様も、ご自分を愛したり、人から愛されるのを望むのではなく、人民を、国民をあまねく愛するために「皇族」(家族ではない)に生まれてきたともいえるのですね。そう考えると、「貴乃花親方」の周囲には、尊敬できる人はいるのでしょうか? ちょっと心配になりますが…。
「貴」の「貝」は、「われめのある子安貝、または二枚貝を描いたもの。こだいには貝を交易の貨幣に用いたもので、貨・財・費などの字に貝印を含む。敗(日辰にやぶれる)・廃(われてだめになる)・肺(左右二つにわれたはい)と同系。
意味は、かい。二枚貝や、真ん中にわれめのある子安貝など、二つにわれるかい。のち転じて、かいの総称。宝のこと。古代にはきれいな貝を装飾や賞品、貨幣のかわりに用いたことから。」です。
「貝」があるので、本来は、お金や財力の心配はない人なのですが、彼はお金以上のモノ、宝を手に入れるために四苦八苦しているようですが、それもこれも、彼にとっては、お金は汚いモノであるという意識があれば、お金もさることながら、宝物すら手にはいらないでしょう。この世的には、お金とはエネルギーなので、それを手に入れる行為を軽蔑するのは、他の宝物も軽蔑するに等しい行為となるからなのですね。たとえ形のないモノコトでも一緒です。お金も組織も一緒かも…。
「貴」の「臾」は、「「臼〈両手)+|(引っぱる)+横へ引きぬく」庾・諛などの字に音符として含まれる。
意味は、ぬく。そっと横へ引きぬく。」です。
「臾」の「臼」は、「U型にえぐってくぼませた様を描いたもの。臼は、意符に用いられたときは舂(つく)・臽(穴にはまる)・挿(穴にさしこむ)など、穴や、うすをあらわす。
意味は、うす。うすづく。穀物をつくときに用いるうす。また、うすでつく。」です。
「臼」もお米があって初めて用をなすのですね。お米もお金に変わるモノコトなので、正当にお金を得る行為を評価することが今世の達成すべき課題なのかも…。
①「貴乃花」の「乃」は、「耳たぶのようにぐにゃりと曲がったさまを示す。朶(だらりとたれる)・仍(やわらかくてなずむ)の音符となる。また、さっぱりと割り切れない気持ちをあらわす接続詞に転用され、迺とも書く。
意味は、すなわち。ずばりと割り切らず、間をおいてつなげる気持ちをあらわすことば。そこでやっと。やむなく。まずそれぐらい。まあそれが。なんじ。第二人称の代名詞。汝と同じ。の。助詞の「の」に当てた用法。」です。
この「乃」も意味深です。「耳たぶ」に関係していて、彼は聞く耳を持たない人間と誤解されていますが、相手からの意見に耳を傾けてこそ、「貴」と「花」が生かされるのでしょう。
①「貴乃花」の「花」は、「化は、たった人のがすわった姿に変化したことをあわらす会意文字。花は「艸(植物)+化」で、つぼみが開き、咲いて散るというように、姿がいちじるしくかえる植物の部分。化・貨(交易にとって何物にも変化するかね)などと同系。
意味は、はな。植物のはな。はなやかで姿を変えやすいはな。はなのようにきれいなもの。また、はなの形に似たもの。あや。さまざまな色や形のまじった模様。はでなさま。模様ふうの。物がいりまじってちらちらして見える。またそのさま。金をつかいはたす。特に桜のはなのこと。さかり。美しくはでなもの。芸者や芸人に与える祝儀。花札の略。」です。
「花」の「艸」は、「日本の草の芽が並んで生えているさまを描いたもの。雑然と生える草。漢字の構成部分としては、くさかんむりと呼ぶ。植物(特に草花)に関する字につく。
意味は、草と同じ。」です。
この「花」もお金にまつわる「貨」と同じ字ですが、「金をつかいはたす」とありますので、余りお金は残らない感じがいたします。常に、金欠病の意識で生きておられるような、何か満たされないような…。花を愛でる行為には、損得勘定はいりません。好きなお花を愛でるように、弟子たちを分け隔てなく愛でるコトが必要なのでは? おとなしくて、目立たない弟子こそ、真の弟子に相応しいのでは?
「花」の「化」は、「金文の左は倒れた人、右は座った人。篆文の左は正常にたった人、右は、妙なポーズに体位をかえた人。いずれも両者をあわせて、姿をかえることを示した会意文字。譌(なまる、姿をかえたことば)・偽(いちわり)・貨(品物に巣姿をかえる通過)などと同系。
意味は、かわる。姿をかえてもとと違った形になる。天地自然の変化。人格や教育によって、接する人の心や生活ぶりをかえる。ばける。姿を妙な形にかえる。」です。
現在の「親方」脱皮したいのでは? それには、相撲協会を変えねば、自分が変われないと、悲壮感にも似た、強い意識を感じておられるような…。しかし、改革すべきは、協会ではなく、まずはご自分の意識、己の意識改革が先なのでは?
「化」の「人」は、「人のたった姿を描いたものでもと身近な同族や隣人仲間を意味した。二(二つくっついてならぶ)・爾(そばにくっついている相手、なんじ)・尼(相並び親しむ人)・仁と同系。
意味は、ひと、人間、他人、ひとごとに、ひとびと、人数を数える言葉。」です。
「貴乃花親方」にとっては、対等に話合える信用できる人(パートナー)が必要です。さらに、無償の愛で尽くしてくれる伴侶が…。それらが居ない場合は、やはり、先祖のお墓にお参りして、加護を受けるべきでしょうか。
「光司」の「光」は、「人が頭上に火を載せた姿を示す。四方に発散するの意を含む。晃(ひかり)・煌(ひかりが四方にかがやく)・黄(ほのおのひかり→きいろい)と同系。また、広・横(ひろがる)・往(どんどん進む)とも近い。
意味は、ひかる。ひかり。明るくかがやく。また明るくかがやくひかり。外に照りはえるかがやき。目立つ才能や名声。かがやく。かがやかす。光を発散させる。みがきをかけて浮きだたせる。相手の行為を光栄とする意を添えることば。つや。けしき。発散し尽くす意から全部尽き果てるさま。」です。
「光」には、光輝くエネルギー、あるいは、その光で、「全部尽き果てるさま」という強烈なイメージがあるようです。しかしこの「光」は、「相手の行為を光栄とする意を添えることば」などとありますので、はやり、相手を立てるために使うべき「光」ではないでしょうか?
「光」の「火」は、「火が燃えるさまを描いたもの。毀(形がなくなる)・燬(やけてなくなる)などど同系。炎と焰は、強くもえつほのお。
意味は、ひ。物を燃やして光や熱を発するひ。火事。五行のひとつ。色では赤、方角では南、季節では夏、十干では丙(ひのえ)と丁(ひのと)。火星。さそり座のアルファ星のこと。火のような怒り。かんしゃく。火で焼いたり煮たりすることをあらわすことば。火のついたようにさしせまったさま。仲間。七曜のひとつ、火曜日。」です。
自分自身にその火を直接当ててしまうと、その熱い炎で、自分が焼き尽くされてしまい、自滅する可能性のほうが高いのでは? つくづく名前とは、自分に向かうと良くないのだなぁということがこれでお分かりですね。
「光司」の「司」は、「「人+口」上部は、人の字の変形、下部の口は、穴のこと。小さい穴からのぞくことをあらわす。覗(のぞく)や伺(うかがう)・祠(神意をのぞきうかがう→まつる)の原字。転じて、司祭の司(よく一事を見きわめる)の意となった。
意味は、つかさどる。役目を担当する。一つの仕事に通じる。つかさ。役目を担当する人。役人。役目の名。役所。」です。
この「司」は、役人という意味があるので、やはり彼は協会の理事という役職を求めたことがわかりますが、これで終わるのではなく、行きつく先は、やはり「理事長」なのでは? そのために、彼の行為は存在するのかも…。納得!
「司」の「口」は、「人間のくちやあなを描いたもの。その音がつづまれば谷(あなのあいたたに)、語尾が伸びれば孔(あな)や空(筒抜けのあな)となる。いずれも、中空にあなのあいた意を含む。「巧」の代用字としても使う。
意味は、くち。人の顔にあり、飲食物を取り、物をいうあな。食べる人の数や食べぐあい。また、食物を食べるくちの数によって人数や家畜を数えるときのことば。あな。ぽかっと口をあけたあな。入りぐち。くちずから。親しく自分のくちから。刀を数える単位。ものの言い方。また、ことば。もののはじめ。物事をいくつかにわけた一つ。入りこみうる場所。」です。
「口」を持っているので、彼は決して無口の人ではなく、反対に、弁の立つ人ではないでしょうか? 彼の毒舌で、人は辟易するかもしれません。あるいは、この「口」は食いぶちなので、食いぶちには決して困らない人では? という意味は、喰いぶちというのは、親方という職業にとっては、「力士」の数や優秀さにあたるので、それが未だに感じられないのは、この「口」は、余り良いほうに影響されていないのでは?
②「花田光司」の「田」は、「四角に区切った耕地を描いたもの。平らに伸びる意を含む。陳(平らに押し伸ばす)と同系。
意味は、平らに耕した土地。平地。日本では水田を田といい、水をはらないのを畑という。狩りをする。田畑のように何かをうむ所。」です。
「田」は、ずばり「田」に「力」で「男」を現しますので、女の腐ったような考えの組織や人物には我慢がならない? 要するに、妥協を許さず、中途半端な生き方をには嫌悪感を伴うのでは? 白黒をはっきりつけたい?
【数霊(ラッキーナンバー)】は、①「タカノハナコウシ」も②「ハナタコウシ」も、「7」「9」「2」。③「タカノハナオヤカタ」は、「7」「8」「2」。③「オヤカタ」のほうは、偶数が多いので、白黒を付けると良くないようで、さらに、「9」と「8」の持つ意味の違いが現れているようで、「8」は日本では「弥栄」ですが、外国では「分離」という意味に取る人も多いのですね。
【エネルギー解読】では、②「花田光司」は、生まれた日は、女性性エネルギーが強い日で、全体の誕生年月日も中性性のエネルギーが強い。今年は8月12日からは男性性の強いエネルギー。今年は、45歳なので、イケイケ、オセオセムードが高じて、引っ込みがつかなくなるかもしれませんが、もともと女性性の強いエネルギーの元で生まれ落ちているので、最後の最後は、力不足に終わり、最後のトドメがさせない、気の弱い部分もあるようです。
【チャクラ・オーラ解読】では、①「タカノハナコウシ」も②「ハナタコウシ」も「欠(弱点)」は、【水(へそ)…惰性、抑圧】で、③「タカノハナオヤカタ」は、【水(臍)…惰性。抑圧】と【火(みぞおち)…臆病。意志薄弱】と【風(心臓)…虚偽】です。
全体に、丹田が弱く、イザというときのチャンスや、苛酷なピンチには弱く、さらに③「オヤカタ」では、モノゴトが大ごとになればなるほど、臆病風が吹き、意志も薄弱になってきますので、苦し紛れに虚偽の言動も出るやもしれません。
「音」からの【音霊(ヒビキ)】の「ヒビキ」での他人に与える印象は、①「たかのはなこうじ」では、体力的には持久力もあり、O型のイメージが強いわりには、福祉の職業にも興味があるゆえ人情味もあり、自然体のナチュラル思考で、融通性にも富んでいて、色もピンクがお好きなように、柔らかいイメージに見えないといけないのですが…。このギャップはどこから来るのでしょうか? 強がりや背伸びしているのでしょうか?
戸籍上の②「はなだこうじ」という「ヒビキ」では、柔軟性もありますが、B型イメージなので、社交的なレジャー関係を仕事にすれば力を発揮するようで、ゴージャスで、贅沢なイメージが強く、華々しく活躍したい気持ちがあるような感じがいたします。
③「たかのはなおやかた」では、①「たかのはなこうじ」によく似ていていますが、若干スタイリッシュな感じがいたします。一番強いイメージは、戸籍上の②「はなだこうじ」なのか、イザ、コトを起こすときには、このお名前に翻弄されるのかも…。
最後に、【心理学的診断】では、①「たかのはなこうじ」は、ユング的には、論理性・合理性に欠けるが、俗世間を超えた宗教的な価値観に従っていきやすい。また、非社交的で神経質で、感情表現に乏しく、孤独を好むやすく、社会的活動に消極的で、社会的な権威や伝統的な慣習に服従するタイプです。人生の後半からは、受動的で、他者に助けを求めるタイプ。「エニアグラム」では、平和主義的で調停的で、思いやりのあるタイプだが、自己主張が弱く、周りに合わせすぎることがある、とあります。
②「はなだこうじ」では、①「たかのはなこうじ」の前者と違う部分は、宗教性よりも、経済的に、物事を損得勘定で判断するために、合理性を好み、他者の感情に対する共感は薄く、利己的な行動をとりがちでしょう。人生の後半からは、依存度が高い。「エニアグラム」では、援助的で献身的で、細かい気遣いと思いやりがあり、情にももろいが、八方美人的でもある、とあります。
③「たかのはなおやかた」では、①「たかのはなこうじ」の前者と同じく宗教性高いわりには、周囲の人々に調子を合わせようとするが、人生の後半からは、情緒が安定していて、物事に対しても柔軟に対応でき、人生の満足度も高い。「エニアグラム」では、①「たかのはなこうじ」の前者と同じ、であります。
最後の感想では、②「はなだこうじ」の「戸籍」の「本名」よりも、他のお名前の①「たかのはなこうじ」や③「たかのはなおやかた」で生きるために、本来の自分の「魂」を見失いやすく、外側は岩のように頑丈だけれども、内面は、もろく繊細で壊れやすく、それを人に知られまいとして、頑なな態度になりがちです。また、色々な意識や感情が錯綜し、肝心の勝負のトキには、「魂」の定着位置が定まらず、余計に右往左往してしまい、本質も、使命も、訳が解らなくなってしまい、他のことに血迷ってしまいがちの、何とも、彼を理解する人は皆無に等しい、波瀾万丈の「運命」のような感じがいたします。
余りにもご自分の才能があると錯覚するために、地に足がついた、確固たる「信念」が伴わず、常に、心は見果てぬ夢をさ迷い歩くのでしょうか。遠い世界に夢の実現があるのではなく、地に足をつけた時に、始めて、それがご自分の「中」にあるということを悟るための、厳しい厳しい人生なのではないでしょうか? 「魂」が古いぶんだけ、人生の全うも、尋常ではなく、普通の人では図りしれないほどの苦しみが伴いますが、それは高い「魂」や「使命」を持つ者としての、苛酷な「運命」なのでしょう。
「貴乃花親方」にとっては、世の中の全てが敵、すべての人間が敵、あるいは、協会のすべてが敵、と感じられるでしょうか、本当の、本当の、真の敵は、ご自分の「心」や「意識」なのでしょう。要するにご自分の「魂」を制するコトが…。
そういう「貴乃花親方」の「本質」や「使命」を鑑みて、考慮に入れてこそ、彼の今回の「騒動」の行動が理解できるのではないでしょうか?
なにはともあれば、相撲界のヒーローともなってもおかしくない、「貴乃花親方」を、私たち下々は決して安易な解釈で、彼に当てはめてはいけないと存じます。というか、貴重な相撲界の人財を、ダーティー・ヒーローにだけは、してはならないと存じます。
それはとりもなおさず、今、渦中にいる、日馬富士や貴の岩にもいえることで、彼ら以外の隠れた権力者や底深い闇にこそ、もっと、焦点を当てるべきなのでしょうね。日馬富士が辞めて、陰で得をするのは誰か? あるいは貴の岩を悪者にして甘い汁を吸うのは誰か?
人が寄って、一つの「組織」になれば、そこでは縦社会が出来上がり、頂点にたつ長(オサ)の意識の問題で、その「組織」が悪にも善にも変化するのでしょう。というコトは、今の相撲界に、「貴乃花親方」が存在するというだけでも、何か、神が、彼を必要としているのではないでしょうか?
願わくば、普通一般の人間としては、どんな「組織」にも交わらず、誰にも束縛されずに、しっかりと地に足を付けて、生きることがどれだけ重要なコトなのでしょうか。
そういう社会を作るべく、私たちは、一人ひとりが、努力しなくてはいけないのでは? 組織など作らずに…。
と強く感じた次第です。
ありがとうございました…。
※注)この「姓名本質リーディング」は不完全ですので、正式いな「姓名本質リーディング」ではないことをお断りさせて頂きます。「カウンセリング」ではご本人の「潜在意識」は、他の様々な直観イメージ技法や「姓名言霊カード」で行っております。
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