姓名は生命!氏名は使命!(4)「保育園~死ね!」の「匿名と署名運動」の矛盾とは?
この「姓名は生命!氏名は使命!(4)」は、大阪で悩みをお名前と潜在意識から読み解く本質と使命とトラウマの「姓名本質リーディング」の姓名リーダー三宅麗子のブログ(投稿頁)です。
★姓名は生命!氏名は使命!(4)
◆「保育園落ちた日本死ね!」の「匿名と署名運動」の矛盾とは?
「保育園落ちた日本死ね!」のゲスっぽい言葉使いの、余りの品位の無さに、日本人として、ちょっと首をかしげるのは私だけでしょうか?
さらに、もっと変? と感じるのは、なぜ、国会議員たちから、堂々とした、反対意見がでないのでしょうか? やっぱり、彼らも税金泥棒? そんなに、国会議員として、日本が死んでほしい?
さらにさらに、これを書いたご本人(仮にAさんとして)は未だに、公には顔を出さずに、書いてもいない、関係のない人々が「署名運動」をするという不可解さに、??? Aさんが身分や顔を正々堂々とマスコミの出さないのは、やっぱり、疚しさがあるから? 顔の見えないネット上で、顔を隠して「日本死ね!」と無責任に書きなぐるのは、日本人として、いえ、人間として、やはり、フェアではない?
なぜって、自分たちは「匿名」を正当化しながら、他人には「本名」が必要な「署名運動」をするのは、ナンカ変?
だったら、その「署名」は全部、「匿名」なの?
「署名」って、やっぱり「本名」でないとダメ、でしょ! なのに、ブログやツイッターの「匿名」は、許されるの?
これだけ大騒ぎ(?)しても、Aさんご本人は「本名」を、一切、名乗らないのは、なぜ?
でも、こんな騒動になってしまい、これを書いた30代前半の女性のAさんは、今一体、どんな心境なのでしょうか?
「してやったり!」と勝利の美酒に酔いしれているのでしょうか?
今回、ネットで大々的に注目され、また、マスコミにも取り上げられ、さらに、国会で野党議員にまで利用されて、本当にAさんは「やった~!!!」という、爽快な気分なのでしょうか?
私は、まともな日本人女性であれば、決して、晴れ晴れとしたご気分ではない、きっと後悔されているのでは、と感じますが…。
Aさんの旦那さんも、Aさんのご両親も、旦那さんのご両親も、もしもAさんがあれを書いた張本人だと知ったならば、「よくやった! でかした! でかした!」と喜ばれるでしょうか?
私は、そんなコトは決してない! と信じます。
なぜって? それは、「日本人」だから、としか、説明のしようがありません!
私には、Aさんは、「もう、ほっといて欲しい、早く忘れたい」と戸惑いのほうが強いと感じるのですが…。
セイセイしているのは、彼女の文面に便乗して、さらに「署名運動」までして、何の悪びれる風もなく、それを喜々として、正々堂々と大臣に届ける女性たちではないでしょうか?
なぜなら、参加している女性たちは、紛れもなく、あれを書いた張本人ではないから、気が「楽」で、罪ややましさも全くないから、公に正々堂々と出てくる、いえ、出てこられるのです。
彼女らには、Aさんの心境など、全く無視。いえ自分たちと同じでAさんもやましさなど無いと思っている、今の若い人たちは、全く他人の気持ちが理解できないのです。Aさんの心の苦しみなど、トンと感知しない、いえ、できない。
でも、当事者のAさんの気持ちはそうではない、のです。なぜならば、公に名のらない、顔を見せないから…。
「こんなに大ゴトになるとは思わなかった、心の痛みを伴う行為をしてしまった、本当は良心に恥じている、でも、それを正直には今更言えない、とうとう、「署名運動」まで起きてしまった。」
だから、未だに、顔も本名も出せないのです。
なぜならば、顔も本名も、「魂」を表わすから、恥を知る日本人ならば、なおのこと、出てこれない、のです。
そういう、複雑で、説明しがたい心境は、当のご本人のAさんにも、理解不能なのではないでしょうか?
私がなぜ、そう、感じるかと言いますと、やっぱりあのタイトルの「日本死ね!」が全ての、諸悪の根源なのです。
今回の騒動で、私が共感を覚えないのは、やっぱり、あの「日本死ね!」なんですね。
Aさんと同じような境遇の人でも、書かない人は、決して書かないのです。あの文章は…。書く人と書かない人との差は紙一重でも、その「サ」は越えられないほど高いのです。
「署名運動」の女性たちに、「あの文面を書くか?」 と聞けば、「書く!」と答える人は、一体何人いるでしょうか?
Aさんの究極の主張は、自分ではそう思わなくても、「日本が死んでほしい」という思い、が主旨なのです。いえ、神(宇宙)はそう受け取る、のです。Aさんの主旨は、「保育園落ちた!」ではないのですね。
Aさんの切実な願いは、「保育園に入りたい、入れて欲しい」、ではなく、「日本が死ねばいい」、という不遜な願い、となってしまうのです。
本当に、Aさんがそう思っていなくても、あの文章は、「日本死ね」という強い、強い希望、願望として受け取られてしまうのです。
いわば、日本に対する、呪いや怨念の文面なのです。
Aさんは「自分がこういう状態になったのは、すべて、国が悪い、国のせいだ、私は全く悪くない!」という思いなのです。
いくら、Aさんがそうではないと弁解しても、そういうコトなのです。
一度、コトバ化した言葉のエネルギーは、二度と消えない、のだそうです。
だから、言葉コトダマなので、あれがAさんの思いだと、神(宇宙)は受け取る、のです。
でも、あれを書いたAさんは紛れもなく、日本人の一員として、日本の国を担っているのです。
その担うべき国民が、「自分の祖国(母国)が、死んでもいい、無くなってもいい」、という主張は、私は、決して共感する気にはなれませんし、共感したくもありません。
あの全文面を読むと、なるほど、正論のような気がします。それは、批判しているコトは全て事実であり、国民全員が憂えているコトガラだからです。
だからといって、「保育園落ちた」の感情に振り回されて、関係のないコト(保育園は、国の問題ではなく、都の行政の問題)を書き殴るのは、いかがなモノでしょうか?
「バカヤロー」や「クソ」などという単純なコトバではなく、「日本死ね」という意味のある重いコトバなのです。
Aさんは、日本が無くなってしまえ、無くなったらいいと、本当に、実現化、現実化、してほしいのでしょうか?
「署名運動」した女性たちにも、問いたい? 本当に、日本が死んでもいいんですか?
「保育園」のコトに対しての、苦情や窮状をエンエンと書き綴るのなら、ある意味仕方がない、許されると思いますが…。
でも、本当に、自分の心情を訴えたいのであれば、もう少し、理性的に書くべきでしょう。
あれは、男女が喧嘩をして、苦し紛れに、言語化するのが苦手な男性が、女性の全く関係のない弱点を持ち出す卑怯な手法と、何ら変わりはないのでは?
また、Aさんがその苦情や窮状をぶつけるべき相手と方法は、国や国会議員にではなく、行政の東京都であり、その東京都の管轄の職員に会いに行って、真摯にぶつけるべきだったのではないでしょうか? 自分が正しいと思うのであれば、なおさらそれだけのエネルギーと努力を払うべきなのです。
でも、その前に、旦那さんにご相談されたのでしょうか?
Aさんのご両親にもご相談されたのでしょうか?
旦那さんの両親にもお話しされたのでしょうか?
Aさんを取り巻く親友や友人知人、子育て仲間やその知り合い等にもご相談されたのでしょうか?
そして、できるだけの努力をされた結果、それでもどうにも解決できず、気持ちがおさまらないのであれば、先の行政に働きかけるべき、なのではないでしょうか?
全く、ご自分にやましさがないのであれば、なぜ、公の場に、テレビなどに出て、もっとしっかりと、正々堂々と、主義主張なさらないのでしょうか?
だから、私には、ちょっと解せないのですね。
人間、心から共感を呼ぶ行為行動とは、当事者自らが、「コト」を越してしまっては、全く逆効果で、ダメなのです。赤の他人や関係ない人々が見るに見かねて、ほっておけないという気持ちになってこそ、それは共感を呼び、大きな潮流(うねり)となるのです。
今回の「署名運動「の人たちも、当事者たちがコトを起こしているので、子育てを終えた関係のない人間たちは、ちょっと引いてしまうのです。
また、もっと解せない点は、「匿名」を正当化しながら、なぜ、「署名運動」するのでしょうか?
その「署名」はみんな「匿名」でしょうか?
この「匿名」というのが、今回、一番問題にしないといけない点で、もしも、Aさんが、「本名」を名乗っていたら、あそこまで「ストレート」な本音を、書けたでしょうか?
あの文面そのままの言い方で、行政の窓口で、職員を前にして、喋ることはできるでしょうか? 人に交渉や懇願する言い方では決してないですね~。恥ずかしいですね~。
顔が見えないからといって、どこの誰かも判らないからといって、あそこまで下品に書くのはいかがなものでしょうか? 正直、「書いた人は、本当に日本人」って疑う人もきっといるでしょう。それほど、ゲスっぽい嫌な文面なので、共感や同情したいのに、できないのですね。
あの文面は、まるで寝間着のままで、外出してしまったような感じで、日本人は、決して、寝間着や普段気のままで、公の場には姿を現さないものなのです。礼儀や礼節を重んじたい昔人間は…。今の世でも、まだエチケットというコトバが生きていますよね。
だから、あれが、そのまま一人歩きするのは、Aさんとしては、ちょっと困るのはないでしょうか?
将来、Aさんのお子さんが大きくなられて、今回の騒動を知ったなら、一体、お子さんはAさんに対して、どういう感情を持つのでしょうか? 老婆心ながら、ちょっと心配です。
私は、Aさんの心情を想像すると、何だか、涙が出てきそうです。この涙は、老いからくる涙なのでしょうか?
群集心理というか、野次馬根性っていうか、本当に、コワイですね~。日本って、恐ろしい国になりました。
何が、本当に恐ろしいのかというと、日本人の有識者の殆どが、批判や批評する能力が欠落しているために、あの文面をキチンと、取り上げられないコトが、由々しき問題なのです。テレビによく出るコメンテーターでも、人気を気にして、まともな意見を吐けないのです。ゴマをするコトに徹しているのは、滑稽の極みでしょう。
この調子でいけば、ネットで、ガンガン書きなぐる人が正当化されると、もっとエスカレートしてしまいます。辛辣に文句をいう人間が得をして潤う社会って、本当に、幸せな世の中の到来、といえるのでしょうか?
国民の民意が下がるということは、すでに「日本」ではなくなっている証拠なのでしょうか?
命を賭して、国を守る人はもういないのか?
人間は、どんなに落ちぶれても、人間として、言ってはならないコト、してはならないコト、があるはずです。
それを言葉コトダマというのでしょうか?
そういう文面を書いた人が、これからどういう子育てをされるのか、ちょっと不安ですし、また、そういうお子さんが、どういう大人に育つのか、ちょっと、怖いです。
今回の件で、一番一番、解せないのは、男性が全く登場しない、女性だけのアマゾネスの世界の感がしてなりません。
イクメンの男子を奨励するよりも、ゲイやホモの男性に市民権を与えるよりも、まともな男性に、しっかりと正論を言う力を培わないと、それこそ、この日本は亡国となりましょう。
ダンスに狂う男性も芸事に狂う男性もITに狂う男性もいいでしょうが、魂のある肝の坐った日本男児を育てましょうよ。
でないと、この日本の国から、今の日本人はもうだれも住めなくなってしまいます。そういう国が、日本なのです。
日本文化や日本の伝統を恋い焦がれる、純日本的で優秀な外国人がドンドン押し寄せてきています。
全うな日本人を育てるコトが、急務なのです。
それを実行するのは、一体、どこのだれ、なのでしょうか?
それを育てるのは、やっぱり今の若い日本の女性なのです。
今回のAさんたちにそれを望むのは酷というものでしょうか?
いえいえ、酷などではありません。なぜならば、この美しの国日本に生まれし、ヤマトナデシコなのだから…。
私は、信じています。日本人の誇りと尊厳を…。
Aさん、真の日本人として、頑張ってください。
子供さんが尊敬する母親に…。
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